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熊本地方裁判所 昭和49年(わ)410号 判決 1983年1月31日

被告人 山内藤吉 ほか二人

主文

被告人三名はいずれも無罪。

理由

(目次)

第一  公訴事実

第二  弁護人らの主張の要旨

第三  株式会社太洋設立の経緯及び大洋デパート店舗本館の構造など

一  株式会社太洋設立の経緯など

二  株式会社太洋の職務分掌の状況及び業務運営方法

三  店舗本館の増改築の経緯及び火災当時の店舗本館の状況

四  火災当時の消防設備の設置状況

五  防火管理体制

第四  火災状況

一  出火場所、三階における火災覚知状況及び従業員らの対応並びに火災の拡大状況

二  出火原因

三  出火推定時間

四  各階における火災覚知の時間及び方法

五  火災当時の店舗本館の在館者数

六  三階交換室の状況及び各階に対する通報

七  各階における消火、避難誘導の状況

第五  被害状況

第六  避難の可能な時間及び所要時間

第七  被告人らに対する刑事責任の有無

一  被告人酒井實の刑事責任

二  被告人園田正満の刑事責任

三  被告人山内藤吉の刑事責任

第八  結論

第一公訴事実

本件公訴事実は「被告人山内藤吉は、熊本市下通一丁目三番一〇号所在の百貨店を営む株式会社太洋の取締役人事部長として、同社の従業員らの安全及び教育に関する事務を所管していた人事部の事務を総括し、かつ、防火対象物である同社の店舗本館(鉄筋コンクリート造り、地下一階、地上七階、一部九階、塔屋四階建、総床面積一万九〇七四平方メートル、以下「店舗本館」という。)について、消防法八条の管理権原を有し、同法一七条の関係者である同社代表取締役山口亀鶴を補佐して、同社の防火管理者である被告人園田正満らを指揮監督し、若しくは自ら店舗本館につき消防計画を作成し、当該計画に基づく消火・通報及び避難の訓練を実施し、火災発生時における従業員及び来客の安全を図るべき業務に従事していたもの、被告人酒井實は、同社の営業部第三課長であつて、店舗本館三階の火元責任者であるとともに、同階の自衛消防隊責任者として、受持ち区域内における火災の予防及び消火、通報、避難の訓練の実施並びに火災発生時には部下を指揮して消火、通報、避難誘導などを行う業務に従事していたもの、被告人園田正満は、同社営繕部の係員であるとともに、同社の防火管理者として、前記山口亀鶴被告人山内藤吉及び同社の消防に関する事務を事実上所管していた営繕部を統括し、かつ、右山口亀鶴を補佐して被告人園田正満を指揮監督し、若しくは自ら店舗本館の消防の用に供する設備などの点検及び整備、避難又は防火上必要な構造及び設備の維持管理、警報設備及び避難設備などを設置する業務に従事していた同社常務取締役山内友記の指揮監督を受け、店舗本館について、消防計画の作成、当該計画に基づく消火、通報及び避難の訓練の実施、消防の用に供する設備などの点検及び整備、避難又は防火上必要な構造及び設備の維持管理、警報設備及び避難設備の設置その他防火管理上必要な業務に従事していたものであるところ、昭和四八年一一月二九日午後一時一五分ころ、営業中の店舗本館南西隅所在の避難階段であるC号エレベーター外周階段(以下「C号階段」という。)の二階踊場から三階への上り口付近から出火し、火は上層階に燃え拡がり、店舗本館の三階以上(床面積合計一万二五八一平方メートル)の内部がほぼ全焼するに至つたが、営業中の店舗本館には、不特定多数の客及び多数の従業員を収容していた上、右火災当時、店舗本館北側の増築工事と店内の防火設備工事とが施工中で、既設の北側非常階段が撤去され、避難階段が西側に偏在する状態となり、店舗本館の窓はその殆どがベニヤ板などで覆われ、店舗内には可燃性商品が大量に陳列されていたので、万一火災が発生した場合には、容易に他に延焼し、避難誘導などに適切を欠けば、多数の生命、身体に危害を及ぼす危険のあることが当然予測されたのであるから、火災発生時における客及び従業員らの生命、身体の安全を図り、死傷者の発生を未然に防止するため

一  被告人山内藤吉は、消防計画を作成し、火災が発生した場合にはすみやかに消火し、早期に従業員らに通報して安全に避難できるよう当該計画に基づいて各種の訓練を実施すべき業務上の注意義務があり、かつ、所轄熊本市消防局などから、再三にわたつて、消火、通報及び避難の各訓練の実施を求められていたにもかかわらず、これを怠つた過失

二  被告人酒井實は、平素から部下従業員に対し、消火、通報及び避難の訓練を実施し、避難階段に出火延焼の原因となる商品などを放置させないようにし、また、火災発生時には、直ちに部下従業員を指揮して迅速的確な初期消火を行い、適宜防火シヤツターを閉鎖するなどして延焼を防止し、全館に火災の発生を通報して客及び従業員に避難の機を逸せしめない措置を講ずべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右各訓練を実施せず、三階売場の可燃物である寝具などの商品を避難階段であるC号階段二階踊場から三階と四階の中間第一踊場にかけて山積させ、かつ、本件出火直後の午後一時二〇分ころ、火災発生を知らされてC号階段に赴いた際、同階段の二階踊場から三階への上り口付近で発生した火災が同階段壁際に置かれていた商品入りダンボール箱を次々に焼燬して、同階段二階と三階の中間を過ぎた付近まで燃え拡がつている状況であつたのに、三階売場の同階段入口付近から一見したのみで火煙の程度及び状況を十分確認せず、消火器のみで容易に消火できるものと軽信し、屋内消火栓の使用に思い及ばず、単に簡便な消火器のみで消火しようとして初期消火に失敗した上、全館に火災の発生を通報せず、また、すみやかにC号階段入口の防火シヤツターを閉鎖する機を逸して前記のとおり延焼させた過失

三  被告人園田正満は、消防計画を作成して、当該計画に基づく消火、通報及び避難の訓練を実施し、自動火災報知設備及び前記工事期間中、同工事に伴い撤去された既設の非常階段に代る避難階段を設置し、その他誘導灯、必要数の救助袋、避難梯子などの避難設備を設置し、また、避難階段に出火延焼の原因となる商品などを放置させないようにすべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右各訓練を実施しないのみならず、右警報設備及び避難設備を設置せず、また、避難階段であるC号階段に商品を放置させていた過失

並びに前記山口亀鶴の防火管理者らを指揮監督しての消防計画の作成及び当該計画に基づく消火、通報、避難の訓練の実施懈怠及び自動火災報知設備、前記の北側非常階段に代る避難階段の設置懈怠その他誘導灯、必要数の救助袋、避難梯子などの避難設備を設置しなかつた過失並びに前記山内友記の自動火災報知設備及び前記の北側非常階段に代る避難階段の設置懈怠、その他誘導灯、必要数の救助袋、避難梯子などの避難設備を設置しなかつた過失の競合により、前記出火の際、早期に消火できずに延焼させ、客や従業員らに対する火災発生の通報の機を逸し、適切な誘導避難をさせることができず、逃げ場を失わせたあげく、火煙が店内に充満したことによつて、店内の客及び従業員らのうち、別表第一記載のとおり、新亀喜(当時六五年)ら一〇四名を一酸化炭素中毒などにより死亡させ、別表第二記載のとおり、野田三津恵(当時六六年)ら六七名に対し、全治不明ないし加療約二日間を要する一酸化炭素中毒症、骨折、挫創、打撲傷などの各傷害を負わせたものである。」というのである。

第二弁護人らの主張の要旨

弁護人らは、被告人三名につき、刑法二一一条にいう業務上過失致死傷罪を成立せしめるような業務上必要な注意義務違反は何ら存しないとして、同被告人らに対し無罪である旨主張し、次のように述べる。

一  刑法二一一条の業務者

被告人三名はいずれも刑法二一一条にいう「業務」者ではなく、「業務上必要な注意を怠つた」とも言えない。他に業務上の注意義務を怠つて本件被害者らの死傷の結果を惹起した者があつても、被告人らは、それらの者の過失と競合するような業務上の注意義務を怠つたものではない。

1  被告人山内藤吉につき

被告人山内藤吉は、消防法によつて規定されている防火管理上の義務の主体ではない。すなわち、消防法は消防、防火業務の特殊性に着目してその指揮命令系統を企業の一般業務の指揮命令系統から切り離し、管理権原者―防火管理者―自衛消防組織構成員という別個独立の指揮命令系統としているのであつて、権原者でも防火管理者でもない一取締役が単に人事担当者であるというだけで、消防法によつて特別に規定された権原者または防火管理者の責任を負担することにはならない。また、被告人山内藤吉が権原者たる山口社長からその防火管理業務のうちの人的面の権限を委任または命ぜられたという証拠もない。以上のことは判例上も確定しているところと考えられる(磐光ホテル火災事件昭和五〇年三月二九日福島地方裁判所郡山支部判決)。

2  被告人園田正満につき

被告人園田は刑法二一一条にいう業務に従事していたと言えない。すなわち、同被告人は防火管理者として届出られたため、平社員としてできる限りのことはやつたが、消防計画の作成や、防火訓練、設備の整備といつた防火管理業務の根幹と目すべき仕事については、平社員としての同被告人にはどうしようもなく、防火関係のことも営繕課の中原課長に報告し指揮を仰ぐのが通例で、権原者である社長に直接会えず、直接指示を仰ぐこともできなかつた同被告人に防火管理者に適した権原が与えられたとは到底言えない。また、昭和四七年一二月一日政令四一一号で改正された消防法施行令三条は防火管理上必要な業務を適切に遂行することができる管理的又は監督的な地位にある者という制限を設けたが、右改正は単に形式的改正でなく、防火管理者となる者を法が防火管理者に期待し要求するような実力を備えた者に限定することにより、消防、防火の目的を実現しようとしたもので、仮に防火管理者として選任され届出られた者でもその実を備えない者は防火管理者として認めないという趣旨である。この点についても検察官のような主張を真向から斥けた判例がある(前記火災事件、昭和五三年一月二四日仙台高等裁判所判決)。

3  被告人酒井實につき

被告人酒井が三階の火元責任者であつたことは事実であるが、会社全体の防火訓練が何ら行われないのに、三階の火元責任者ということでそのような訓練を行わせるなど考えられず、消防法上も火元責任者にそのような義務が存したとは認められない。自衛消防隊の責任者という点は、大洋店舗本館に自衛消防隊の編成が全く行われておらず、そのような実在しない自衛消防隊の責任者の防火訓練の責務なども存在するはずがない。また、C号階段に荷物を置いたのは、増改築に伴う倉庫の減少のためやむを得ず一時階段等を使用したのであつて、菅沼ビルは家具やタオルの収納には使えず、それらのダンボール箱は何者かが放火したから火災となつたので、ダンボール箱自体から出火する危険は全然なかつた。更に、被告人酒井が三階の火元責任者であつたことも、各階とも課長が火元責任者になることになつていたからそうなつただけで、実際問題としても、停年を過ぎた六〇余歳の老人で消防法上何の知識も経験もない同被告人が火元責任者ということは単なる飾りにすぎず、三階には他に防火管理者講習会の講習を受けた若い職員が何人もいて、それらの者が現実の防火、通報、避難誘導等に当ることになつていた。被告人酒井に消防法上の防火管理者に要求されるような防火訓練を職員に対して施すべき職務があると考えるのは非現実的である。

二  業務上過失致死傷罪の実行行為

1  被告人酒井實につき

本件火災当時、火災現場における被告人酒井のとつた行動をみれば、業務上過失致死傷罪の実行行為とすることは不可能である。

(一) 初期消火

被告人酒井らが見た火勢から判断して消火器で消せると判断し行動したことに過失はなく、従つて消火栓の使用に思い及ばなかつたことも当然であり、現に小さかつた火が一挙に急激な爆発的火焔となつて店内に吹き込んで手に負えなくなるなど考えなかつたとしても無理はない。

(二) 全館に対する通報

現に三階店員の何人かが電話交換室に連絡しており、連絡を受けながら交換室がそれに対し迅速適切に応対できなかつたもので被告人酒井の責任ではない。

(三) 延焼防止

もともと熱感知で自動的に閉鎖すべきものが作動しなかつたのであり、他の店員が手動で閉鎖しようとしたが締りかけて途中で止まるということが加わつたもので、被告人酒井の責任ということはできない。

2  被告人三名につき

被告人山内藤吉及び同園田の業務上過失致死傷罪の実行行為及び被告人酒井の実行行為とされるものの一部は過失による不作為といわれるものであるが、その不作為による実行行為を認めることができない。

(一) 被告人三名が作為義務を有していたと認められない。すなわち、本件で問題となる作為義務違反は、すべて消防法に規定せられた防火対象物たる大洋デパートの管理権原者と防火管理者たるべき者の負担する作為義務違反の不作為でなければならないのであつて、被告人らはいずれもそのような管理権原者でも、防火管理者でもなかつたのであり、あるいはその実質的資格要件を欠いている者だつたからである。

(二) 不作為による業務上過失致死傷罪の実行行為がなされたというためには、それが作為犯と同価値であると評価されるために必要とされる不作為犯一般に亘る要件が具備していなければならないが、そのような要件は被告人らが追及されている過失の不作為には全然備わつていない。

第三株式会社太洋設立の経緯及び大洋デパート店舗本館の構造など

一  株式会社太洋設立の経緯など

(証拠略)によれば、山口亀鶴は、昭和七年ころ熊本市下通一丁目三番一〇号で木工装飾関係の山口製作所を設立し、昭和二一年ころ同製作所を法人化して大洋工業株式会社とした。その後右山口は百貨店経営に乗り出し、資本金一億六、〇〇〇万円で株式会社太洋を昭和二七年六月一四日設立して代表取締役となり、同所に本店を構え、同年一〇月大洋デパートの営業を開始して自らその経営責任者となつたが、やがて、熊本県八代市本町二丁目一番二一号に八代支店を開設して、昭和四五年から昭和四七年の各年間の本店と八代支店とを合せた営業利益は、各年度とも約一億二、〇〇〇万円から約一億三、〇〇〇万円であり、昭和四八年一一月二九日発生した本件火災当時の従業員数は、本店で約一、〇〇〇名、八代支店で約三〇〇名であつたが、右火災後は経営不振に陥り、昭和五一年一〇月二七日、熊本地方裁判所に対し会社更生手続開始申立がなされ、昭和五二年四月更生手続開始決定があり、現在、更生手続中であることが認められる。

二  株式会社太洋の職務分掌の状況及び業務運営方法

(証拠略)によれば、株式会社太洋の職務分掌の状況及び業務運営方法は次のとおりと認められる。

1  株式会社太洋では、創業直後の昭和二八年四月二〇日付で「株式会社各課職務分掌表」が作成されたが(これによると、庶務課の所管事項の中に消防に関する事項が含まれていたが、庶務課が廃止された後は、消防に関する事項を所管する部課はなく、のちに営繕部長古閑光男が防火管理者に選任されてその所管となつたものである。)、その後昭和四二年には部制が設けられたり、各課の改廃などが行われたりしたものの、その都度明確な職務分掌表あるいは職務分掌規定が定められたことはなく、事実上各課の改廃が行われて、その分掌事項も慣行的に当該部ないし課の分掌となるにすぎず、それが社内的にも、対外的にも是認されていくという状況であつた。

2  本件火災当時の株式会社太洋は、山口亀鶴社長(以下山口社長という)の下に、外商担当常務取締役山内友記を筆頭に経理担当常務取締役谷口肇、企画宣伝担当常務取締役松本進、営業担当常務取締役山口博文及び新市街店担当常務取締役片岡秀寿の五名の常務取締役がおり、部としては営業部(部長高木雅生)、経理部(部長松本信康)、人事部(部長被告人山内藤吉)、仕入第一部(部長甲斐基徳)、仕入第二部(部長吉村久雄)、外商部(部長山内友記兼任)、企画宣伝部(部長松本進兼任)及び営繕部(部長はいなかつた)があり、更に、営業部については各階毎に課が設けられ、次長又は課長がおり、そのほか、外商部については第一課から第四課までが、人事部については人事課及び奉社課が、営繕部には営繕課、電気課、機械課が設けられ、各課に課長も存在し、また、決裁制度を設けるなど、一応企業組織体としての形態を備えていた。

三  店舗本館の増改築の経緯及び火災当時の店舗本館の状況

(証拠略)によれば次の事実が認められる。

1  増改築工事の経緯

大洋デパート本店店舗本館(以下「店舗本館」という)は、昭和二七年一〇月熊本市下通一丁目三番一〇号に地下一階地上七階建の鉄筋コンクリート造建物として建設され、昭和三二年一〇月に増築工事を行い、更に昭和四二年一〇月に内部改造工事を行つて本件火災当時の店舗本館建物となつたが、昭和四八年五月からは店舗本館北側に桜井企業株式会社との共同ビル建設に着手した(以下「本件増改築工事」という。)本件増改築工事の増築部分は、地下一階、地上八階、塔屋三階建、床面積合計六九〇一・一〇平方メートルであり、竣工時には、地上一、二階を右桜井企業株式会社が使用し、その余の部分を大洋デパートが使用することになつていた。本件火災当時の昭和四八年一一月二九日、本件増改築工事は未だ進行中であり、増築部分は七階床面までのコンクリート打ちが終了した段階であつた。

2  火災当時の店舗本館の状況

(一) 本件火災当時の店舗本館は、鉄筋コンクリート造、地下一階、地上七階、一部九階建、塔屋四階で、床面積合計が一万九、〇七四平方メートルであり、階段、エレベーター、エスカレーターなどの設置状況及び内部の状況は次のとおりであつた。

(二) 一階以上の階段は、南西隅に地階から屋上まで通ずるエレベーターを取り巻く螺旋階段であるC号階段、右C号階段の東側に隣接して一階から四階までのD号階段(西南階段)、北西隅に地階から塔屋まで通ずる従業員階段、右従業員階段の東側に便所を隔てて地階から九階(但し、八、九階部分は工事中)まで通ずる中央階段及び七階から屋上へ通ずる階段の合計五階段が存し、本件増改築工事開始前に建物北東側に建物から突き出した形で存在していた七階から一階まで通ずる非常階段及び北西側従業員階段裏側に存していたベランダは、本件火災当時本件増改築工事に伴つて既に撤去されており、また、中央階段については、七階から八階への階段を増設工事中であつたため、同階段七階上り口には工事用の天幕が張りめぐらしてあつた。

(三) エレベーターは、北西従業員階段室横に荷物運搬用エレベーター一基、同エレベーター南側に客用のA号エレベーター及びB号エレベーターが各一基、更に前記C号階段室内にC号エレベーター一基の計四基が存し、建物ほぼ中央部に上り下りのエスカレーターが地階から七階まで通じていたが、本件火災当時はエスカレーター周りの防火シヤツター改造工事のためエスカレーターは四階までしか運転されていなかつた。

(四) 店舗本館の内部は、三階東側壁の窓三か所及び七階の西側並びに南側壁面を除くすべての壁面に陳列バツクと称するベニヤ板を張つて自然光を遮り、専ら電気照明によつていたため、店舗本館の各階は無窓階の状態を呈しており、二階以上の階で店舗本館から直接外に脱出できる設備としては五階に設けられていた別館への渡り廊下だけであつた。

(五) 更に本件増改築の進行に伴い、それまで商品倉庫代りに使用していた八階文化ホールが使用できなくなつたことなどから、従業員階段、C号階段、D号階段などに商品入りダンボール箱などが放置されるようになり、殊にC号階段には、二階階段室から三階と四階の中間第一踊場にかけて可燃性商品である化繊の寝具などの入つたダンボール箱が壁沿いに二段ないし三段に重ねた状態で間断なく多量に積み重ねてあり、幅一・五四メートルの同階段は大人一人がやつと通れるだけの状態になつていた。

(六) 次に、店舗本館各階の商品陳列状況をみると、地階は食料品売場、一階は靴、化粧品、装身具、肌着等の売場、二階は紳士服等の売場、三階は寝具、呉服等の売場、電話交換室、四階は婦人衣料品等の売場、五階は書籍、文具、スポーツ用品等売場、六階は家具、家庭用品、金物等の売場、七階は食堂及び結婚式場、催物会場となつており、本件火災当時、同会場では北海道物産展が行われていた。

四  火災当時の消防設備の設置状況

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

1  本件火災当時の店舗本館に消防法令上設置が義務付けられていた消防用設備及び現に設置されていた消防用設備

別表第三のとおりであるが、特に店舗三階の消火設備をみると、消火器四本位、手押しポンプ二個、屋内消火栓三箇所であり、消火器は、南西角寝具売場、東南京呉服売場、事務所、従業員階段手前などに各一本ずつ配置され、また、屋内消火栓は、中央エスカレーター南西隅、中央階段北東隅、店内西壁のほぼ中央の三箇所に各一基ずつ設置されていた。

2  消火活動上必要な施設

右のほか、火災当時の店舗本館には連結送水管が設置されていたが、本件増改築工事着手前の店舗本館には既存不適格建物として設置義務がなく、右工事の着手によつて設置義務が生じたものである。

3  防火シヤツターの状況

本件火災当時、店舗本館各階に設置されていた防火シヤツターは、中央階段各入口、C号階段各入口、D号階段各入口、中央エスカレーター回り及び七階調理場などであるが、C号階段及び中央エスカレーター回りの防火シヤツターについては、電動式(押しボタン)、温度ヒユーズ付、煙感知機付のシヤツターに改造中であり、エスカレーター回りのシヤツターについては一階から六階(ただし、六階は一部工事中)まで、C号階段については二階から五階まで電動式、温度ヒユーズ付のシヤツターに改造済みであり、その余の階段前のシヤツターは、本件増改築工事前に、電動式、温度ヒユーズ付のものが設置済みであつた。しかし、煙感知機は本件火災当時いずれも完成しておらず、作動しない状態であつた。右温度ヒユーズは、火災時に自動的にシヤツターを閉鎖させるための装置で、温度が摂氏七二度ないし七五度に上昇するとヒユーズが融けてシヤツタースラケツトのブレーキがはずれスラツトの自動で閉鎖する仕組みになつているが、温度が右程度に達すれば、瞬時にヒユーズが融ける訳ではなく、ある程度の時間を要するものであつた。右のとおり、各階段、エスカレーター回りのシヤツターは工事中の一部を除き、温度ヒユーズが設置されていたが、シヤツターの降下する部分にスチール製の商品陳列棚を置き、あるいはシヤツター溝に角材を入れ、フツクをかけてシヤツターの降下を妨げるなど防火シヤツターの管理は杜撰を極めていた。なお、C号階段二階、四階、七階の各シヤツターは常時閉鎖されていた。

五  防火管理体制

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

火災当時の大洋デパートでは、消防法、同法施行令及び同法施行規則によつて、防火管理者を定めて消防計画を作成させ、これに基づく消火、通報及び避難の各訓練を実施し、その他防火管理上必要な義務を行わせることが義務付けられており、右消火、通報及び避難の各訓練は定期的に行い、避難訓練については年二回実施することが必要であつたところ、昭和四五年八月、当時の防火管理者であつた営繕部長古閑光男が退職した後は、後任の防火管理者が選任されずに放置され、やつと昭和四七年一二月一五日付をもつて熊本市消防長宛に一営繕課員にすぎない被告人園田を防火管理者として選任する旨の防火管理者選任(解任)届出書が提出され、同月二二日付でその受領がなされたが、同被告人が防火管理者に選任された後本件火災当時まで、消防局からの再三の指摘にもかかわらず消防計画を作成したことはなく、また、消火、通報及び避難の各訓練を実施したこともなかつた。ただ、同被告人が防火管理者として選任届がなされる前である同年四月一日、被告人山内藤吉の指示で各階にそれぞれ火元責任者、副火元責任者の名札を表示し、更に同年五月一九日、同じく同被告人の指示で「消防編成」と題する書面をコピーして各階の長に配るなどした。以上のとおり、本件火災当日まで、大洋デパートにおいては、最も基本的な消防計画すら全く作成されておらず、ただ各階の消防編成があるだけで、全館を通じての自衛消防隊の編成もなく、全館の消防訓練はもとより、各階の消防編成に基づく訓練も一度として行われたことはなかつた。

第四火災状況

一  出火場所、三階における火災覚知状況及び従業員らの対応並びに火災の拡大状況

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。

1  出火場所及び三階における火災覚知状況

本件火災の出火場所は、別紙図第一記載のとおり、C号階段二階から三階への上り口付近であると認められるところ、一階従業員の竹村カズ子、吉村良子及び谷川ゆみ子の三名が火災当日の昭和四八年一一月二九日午後一時一三分ないし一四分ころ、右C号階段の出火場所を通過した時は煙や炎その他物が焦げるような臭いなど全くなかつたが、三階寝具売場の従業員であつた宮崎千代子、小堀咲子及び岡本妙子の三名が同日午後一時過ぎ同売場包装台付近で立ち話をしていた際、右岡本がC号階段の煙に気付き「あの煙は何だろう」と言つたため、右宮崎及び小堀の両名も煙に気付いたが、それは煙草の煙のようにうつすらとしたものでC号階段からD号階段の方へ天井を這うように流れており、右両名は直ちに小走りでC号階段に小堀、宮崎の順で駆けつけ、小堀は同階段下り口から第三踊場付近に炎を見てその場で「火事」と叫び、宮崎はすごい勢いで登つて来る煙を見て直ちに店内へ引き返し、手芸売場の方へ向つて大きな声で「火事よ」と叫び、さらに実用呉服売場にいた被告人酒井に対して「火事です」と叫んだ。

2  三階従業員らの対応

小堀は前記のように叫んだ後、ダンボール箱を取り除いて火を食い止めようとしていたところ、寝具売場の従業員岡本二三男及び榎田満善の両名がC号階段に駆けつけた。右岡本は同階段三階下り口のところから下を見ると、燃えくずなどが飛び散つてあたりが燃えているように見え、右小堀が「荷物、荷物」と言つたことから、C号エレベーターの側壁付近のまだ燃えていないダンボール箱の引き出しにかかつた。一方榎田は、岡本の肩越しにC号階段の下を見ると第三踊場付近のダンボール箱に火がついて可成り燃えあがつていたのが見えたため、同階段のシヤツターボタン傍に置いてあつた消火器を持つて来て五、六回叩いたが作動せず、同人もダンボール箱を引き出しにかかつた。岡本と榎田がダンボール箱を二、三個引き出すか出さないうちに下から急に炎が上つて来たのでC号階段三階下り口から三階店内に戻り、エレベーター前あたりでダンボール箱を引き出していたが、更に下の方から火が吹き上げて来た。その後、ガスバーナーの火のような炎が三階店内に吹き込んで来て婚礼布団に燃え移り、岡本は被告人酒井の「シヤツター」という声を聞いて直ちにC号階段のシヤツターのボタンを押し、同じころ手芸品売場従業員の坂梨公子がD号階段のシヤツターボタンを押した。被告人酒井は、実用呉服売場にいたところ前記のように宮崎千代子から火事の知らせをうけて直ちにC号階段まで行き、下の方を見てみるとダンボール箱一個が燃えているように見えたので、付近にいた従業員に対し消火器を持つて来るよう命じた。その後同被告人は、C号エレベーター前シヤツター付近のダンボール箱を動かし、C号階段とD号階段前にあつた座布団棚を移動させようとした際、前記のように炎が三階店内に吹き込んで来たので「シヤツター」と叫んでシヤツターを降すように指示した。前記宮崎は被告人酒井に火事である旨連絡した後、寝具売場にある電話で交換室に三階の裏階段のほうが火事である旨連絡し、手芸品売場主任福永慶子も交換室に連絡するため電話で九番を回したが通ぜず、同売場の竹下厚子及び呉服売場の福田セツ子はそれぞれ交換室に電話しようとしたが九番を回さなかつたので通ぜず、福田は交換室まで走つて行つて火事だから連絡をとつてほしい旨伝えた。消火活動としては、前記のように榎田がC号階段のシヤツターボタン傍に置いてあつた消火器で消火しようとしたが消火器が作動しなかつたので、岡本と一緒にダンボール箱を引き出すなどした後、電話交換室付近にある消火器を取つて婚礼布団のあるほうに行き消火活動を行つた。また、寝具売場従業員竹本保則、京呉服売場従業員佐々秀輝、手芸品売場従業員上石田千代子など数名が従業員便所でバケツに水を汲んで燃えている布団などにかけたりしたが、途中で放り出した者もいた。避難誘導については全体としてまとまつたものは全く行われず、わずかに和服履物売場主任前田實が逃げ遅れて呉服売場にかたまつていた客一名と従業員九名位を北側中央階段から下ろしたのみで、他に避難誘導は行われなかつた。

3  火災の拡大状況

(一) 前記のとおり、本件火災は、C号階段二階から三階への上り口付近において出火し、同階段に間断なく積み重ねてあつた寝具などのはいつたダンボール箱を次々と焼燬して三階店内に侵入し、同階段入口から西側壁に沿つて陳列してあつた座布団に燃え移り、その後主に中央エスカレーターの方へ向つて燃え拡がり(このことは、C号階段から中央エスカレーターを結ぶ一帯の焼燬の程度が他の部分に比して著しいことからも十分に認められる。)、三階店内のほぼ西側半分を完全に焼燬し、更に、四階へと燃え移つたものであるが、三階の各階段及び中央エスカレーター回りの防火シヤツターの閉鎖状況を見るに、前記のように、C号階段シヤツターは火災がC号階段から三階店内に燃え移つた後においてはじめて同階寝具売場従業員岡本二三男が降下ボタンを押して降下させたが(なお、(証拠略)によれば、右シヤツターは途中で一たん止まつたのであるが、(証拠略)によれば、同シヤツターは最終的には最後まで降りているのであつて、一旦止まつたシヤツターがいつ動き出したかについては前記各証拠を検討しても確定することができない。)D号階段シヤツターは、手芸品売場従業員坂梨公子が、右岡本がボタンを押すのとほぼ同時刻ころ、降下ボタンを押したものの、座布団陳列棚に妨げられて床上約一・〇八メートルのところで止つて完全に閉鎖せず、中央階段前の防火シヤツターは午後一時三〇分ころ、三階店内に火災が拡がつたため、温度ヒユーズが自動的に作動して降下し、中央エスカレーター回り六枚の防火シヤツター中四枚の防火シヤツターは、同じく温度ヒユーズの作動により降下したが、北側及び西側の各一枚は、防火シヤツター降下場所に木製棚などが陳列してあつたためそれに妨げられるなどして閉鎖せず、また従業員階段の防火戸は、両開き戸の片方が開放のままとなつていた。このため店内に燃え拡がつた炎は、主に中央エスカレーター及びD号階段を伝つて四階に向かつたものと認められる(特に、中央エスカレーターの焼燬度が著しい。)。なお、後記第六、一、2のとおり、中央階段に煙が侵入したのは午後一時二五分以降のことであり、その頃はまだ炎の侵入はなかつたものと認められる。

(二) 四階各階段の防火シヤツターの閉鎖状況を見ると、C号階段前の防火シヤツターは、常時閉鎖されていて本件火災当時も完全に閉鎖されたままとなつており、D号階段及び中央階段前シヤツターは閉鎖せず全開放のままとなつており、中央エスカレーター回りのシヤツター中、西側中央部分のシヤツターが高さ約一・八九メートルの鉄製商品掛に妨げられて降下せず、従業員階段の防火戸は全部開放されたままとなつていた。このためD号階段、中央エスカレーターは三階と四階をつなぐパイプの役目を果す形となり、三階の炎はD号階段、中央エスカレーターを通つて四階に侵入し、店内商品をほぼ焼き尽くし、五階へと延焼していつた。

(三) 五階の防火シヤツターの閉鎖状況を見ると、C号階段前防火シヤツターは、煙が店内に侵入しはじめて間もなく自動的に閉鎖し(温度ヒユーズが作動したものと認められる。)、D号階段はなく(前記のようにD号階段は四階までである。)、中央エスカレーター回りの各シヤツターは工事中のため、当初からすべて閉鎖してあり、中央階段のシヤツターは全開のままとなつており(同シヤツター下に、鉄製陳列棚の存在が認められ、この陳列棚の陳列品によつて降下が妨げられたものと認められる。)、従業員階段の防火戸は開放されていた(これは、後述するようにこの開口部から増築現場へ多数の客、従業員が避難したためであると認められる。)。このため四階からの炎は主に中央階段を通つて五階に侵入した(ただし、前記のとおり午後一時二五分以降のことである。)。五階に燃え移つた火は、同階店内のほぼ全部を焼燬したが、特に建物の西側部分及び北東部分の焼燬度が著しい。

(四) 六階の防火シヤツターの閉鎖状況を見ると、C号階段前防火シヤツターは、営業中シヤツター溝に角材を入れて降下できないようにしてあつたため、本件火災の際も全開のままとなつており、中央エスカレーター回りの防火シヤツターは、北側シヤツターが工事中のため三分の二ぐらい開放のままとなつており、東側の一枚は同じく工事中のため取りはずされ、その余のシヤツターは閉鎖されていた。このため六階では中央階段(前記のとおり少なくとも午後一時二五分以降)及び中央エスカレーター(五階のシヤツターは閉鎖されていたが、炎は三階及び四階の中央エスカレーターを伝つて燃え上り、六階のシヤツター開口部分から侵入した)などから店内に燃え拡がつた。

(五) 七階のシヤツター閉鎖状況を見ると、C号階段前の防火シヤツターは常時閉鎖されていて、本件火災当時も閉鎖されたままであり(もつとも、シヤツター横の防火戸は開放のままであり、この防火戸の店内側に木製ドアが設置されていた。)、中央エスカレーター回りの防火シヤツターは、工事中のため三枚が未設置、一枚が開放され、その余は当初から閉鎖されており、周囲はベニヤ板で覆われていた。また中央階段前の防火シヤツターも開放のままであるが、火災当時右階段は工事中で、前記のとおり階段入口前面をビニールシートで覆つてあり、店内からは見えないようになつていた。従業員階段の二枚の防火戸は開放されていた。このため炎は、当初中央エスカレーター、中央階段から七階店内に燃え移り、やや遅れてC号階段の炎が前記木製ドアを焼燬して店内に燃え拡がつた(他の部分に比して中央エスカレーター、中央階段、C号階段付近の焼燬度が著しい。)。

(六) その後、炎は工事中の八階(旧文化ホール)へと燃え移り、三階以上の店舗本館内は、消防隊の必死の消火活動にもかかわらず、出火後約八時間にわたつて燃え続け、午後九時一九分ころようやく鎮火した。

(七) なお、従業員階段から各階店内への炎の侵入については、多くの従業員や買物客らが従業員階段を利用して避難しており、同階段は殆んど焼燬されていないのに、各階店内が著しく焼燬されていることなどに照らし、従業員階段から各階店内への炎の侵入は殆んどなく、主に煙の侵入だけであつたと認められる。

二  出火原因

(証拠略)によれば、第三者による放火の疑いも存するものの、全証拠を検討しても、出火原因を確定するに至らなかつた。

三  出火推定時間

(証拠略)によれば、C号階段出火現場の状況を再現し、商品入りダンボール箱にマツチで点火して、その焼燬状況を実験した結果、一分三〇秒で焦げる臭気が立ち、二分三〇秒で発煙し、三分五秒で発炎して、四分で約三五センチメートルの高さに炎があがり、四分一五秒を経過すると右炎は約五〇センチメートルの高さになり、五分を経過すると炎は約一メートルの高さとなつて、その後は火勢が強くなり、ダンボール箱を這うようにして上方へ燃え移ることが認められること、(証拠略)によれば、手芸売場にいた福永は、いつもは午後一時から食事に行くのに、本件火災当日は友人が売場に訪ねて来たのでその時間に食事に行けなかつたことから、時間を気にしながら何度も時計を見ていたところ、針が午後一時二〇分を指した時、前記宮崎千代子及び小堀咲子の「煙が出ている」という声を聞いたこと、前記第四、一、1で述べたように、午後一時一三分ないし一四分ころには、本件出火場所にはまだ火災の発生は少しも認められず、午後一時二〇分に三階従業員がC号階段の煙に気付き、直ちに同階段へ赴き、下り口から第三踊場付近に炎を認めたのであるから、その時の炎の状況は、C号階段の二階から三階に上る第三踊場付近のダンボール箱まで燃え移つているところであつたということができ、C号階段二階上り口付近から出火した火が右の状況に拡大するには約五分間を要すると考えられ、これらの事実を総合すると、本件火災の出火時間は午後一時一五分ころであつたと推認される。なお、鑑定人右田健児及び同村橋久昭作成の鑑定書は、出火時間を午後一時一三分と推定しているが、これは(証拠略)によれば、熊本市消防局作成の大洋デパート火災概況に、同デパート南側外壁の塗装作業に従事していて本件火災を外部から最初に覚知した中島英文及び野田豊実らが、午後の作業を開始したのが午後一時五分となつていることから、作業準備時間を一〇分と推定し、塗料の入つたバケツを四階まで滑車で引き上げたとき窓から白煙が見えた旨の供述をもとにして、このバケツ吊り上げの所要時間を約二分と推定して、右野田らの火災覚知時間を午後一時一七分としたうえ、店内における第一発見者の一人である前記宮崎千代子らの発見時の火勢をC号階段第三踊場に炎が到達した状態であると認定し、それは外部における右中島らの第一発見時間の一分後であると推定し、C号階段のシヤツター閉鎖時間を午後一時一九分四〇秒として、これらの点を通る火災曲線を描くことによつて出火時間を午後一時一三分と推定したものであるところ、(証拠略)によれば、同人らの作業開始時間は午後一時一〇分ころと認められるので、右鑑定は前提事実を異にし、さらにC号階段五階のシヤツター閉鎖時間についても明確な根拠を欠くなど、出火推定時間の鑑定部分は、そのまま採用することはできない。

四  各階における火災覚知の時間及び方法

1  三階

前記第四、一、1で述べたとおり、三階における本件火災の第一発見者は、同階寝具売場従業員岡本妙子、宮崎千代子及び小堀咲子の三名であり、宮崎と小堀はC号階段からD号階段の方へ天井を這うようにしてうつすらと流れる白煙を見て本件火災を覚知しているが、その時間は午後一時二〇分ころである。

2  四階

(証拠略)によれば、四階婦人服売場従業員宮本和彦及び中村絹子の両名は、同階従業員である高木京子(本件火災により死亡)がD号階段入口のところで「三階の布団が燃えている」と言つたのを聞いて初めて本件火災の発生を知つたこと、このころC号階段横の工事中のダクトから薄い白煙が出ていたこと、高木京子の「三階の布団が燃えている」という声を右宮本と一緒に聞いた同階婦人服売場主任西本公一(本件火災により死亡)は、直ちに「お客さんを誘導しろ、消火器を持つて来い」と言つていること、右西本の声を右中村及び同階チエリーコーナー従業員坂本豊の両名が聞いており、また右坂本は、その直前D号階段を上つて来た男が「火事だ」と言つたのも聞いているが、その時は大洋デパートが火事であるとは思つていなかつたこと、同階婦人下着売場従業員花田英子は、同階西側の方に薄い煙を認め(前記工事中のダクトからの煙と認められる)、それと同時に店内のざわめきに気付き、それから約五分経過して中央エスカレーターから黒煙が出始めたのを見ていることが認められ、以上の各事実を総合すると、四階において、本件火災を最初に覚知したのは、右宮本、西本、中村、坂本であり、前記高木京子がC号階段入口で「三階の布団が燃えている」と言つた時点であると認めることができる。ところで、(証拠略)によれば、C号階段から三階店内への炎の侵入は、同階段のガラス窓が火炎の熱によつて割れて、そこから新鮮な空気が供給された時期と一致するものと認められるところ、(証拠略)によれば、店舗本館南西隅から八メートルの道路を隔てて理容店を営む花岡健一は、C号階段の窓から炎が吹き出すのを目撃し、その直後の午後一時二三分に一一九番通報しているが、同人は炎を見たあと妻と消防署への通報について若干のやりとりをしたのみで、直ちに一一九番のダイヤルをしており、同人が炎を見てから無我夢中で電話をしたのでそんなに時間はかかつていないと思う旨供述することなどから、その間の経過時間は約一分足らずと認めるのが合理的であり、従つて、C号階段の窓ガラスが割れたのは、一一九番通報の時間から逆算して午後一時二二分ころであり、C号階段から三階店内へと炎が燃え移り、同階段前に陳列してあつた婚礼布団に燃え移つたのも、同時刻ころであると考えられ、前記のように高木が「三階の布団が燃えている」と言つていることから、同女は右布団が燃え始めた後直ちに四階に火災を知らせたものと認められるので、四階での火災覚知時間は午後一時二二分過ぎであると認定することができる。

3  五階

(証拠略)によれば、五階次長であつた林熙美は、陶器売場の女子従業員の声で本件火災に気付き、C号階段の方を見ると、もやがかかつたような状態になつており、このためC号階段に赴くと熱気と白煙が四階の方から上つてきていたので、売場に引き返し男子従業員に大声で消火器を持つて来るように指示し、そのころC号階段前にやつて来ていた美術品売場従業員山形政和とともに再度同階段を四階の方へ降りたが、熱気を感じて売場へ引き返したこと、C号階段横の印章売場にいた荒尾幸平は、同階段からの煙で本件火災に気付き、林熙美とともに同階段に赴いたこと、五階陶器売場従業員山口誠子は、同売場で同僚らと立ち話をしているとき、C号階段の煙を認め「煙が出ているので見てくる」と言いながらC号階段に赴くと、そこに林熙美と荒尾幸平がいたこと、山口誠子が食堂を出るときに時計を見ると午後一時一五分であつたが、その五、六分後にC号階段の煙を見ているので、その時刻は午後一時二〇ないし二一分ころであること、陶器売場従業員月足和博は、同売場にいて、火事という声を聞いてC号階段へ赴いたが、そこに右林と山形がいて、同階段室内の商品入ダンボール箱を動かしたところ、煙が出たので「消火器、消火器」と叫びながら従業員階段の方へ行つたこと、右山形は美術品売場にいてC号階段の煙で火災を覚知し、漆器売場従業員岩崎清憲は同売場にいて天井の煙で火災を覚知し、C号階段の方へ赴くとそこに右林、月足及び山形がいたこと、マスコツト売場主任中山陸男は、同売場にいて右月足の「消火器」という声で本件火災に気付いていることが認められ、更に四階の買物客添田陽子は、五階スポーツ用品売場で同売場従業員と立ち話したが、その時刻は午後一時二〇分までであつたことを腕時計で確認しているところ、それからすぐ店内中央辺りの天井に薄い白煙を認め、直ちに中央階段を通つて一階に避難したが、その際三階のC号階段と中央エスカレーターを結ぶ線上に炎を見ており、同女は、約二分で一階まで到達しているので、中間地点の三階を通過したのは、五階から避難を開始して約一分を経過したころであり、三階の前記火災状況に照らし、同女が五階でC号階段の煙を見て避難を開始したのは午後一時二一分ころであることが認められる。以上の事実によれば、五階で本件火災を最初に覚知したのは、林熙美、荒尾幸平、山口誠子、添田陽子であり、いずれもC号階段前付近の薄い白煙で火災を覚知し、その時間は午後一時二一分ころと認められる。

4  六階

(証拠略)によれば、六階洋家具売場従業員梅田房子は同売場主任島津貞治にC号階段から煙が出ていることを知らせ、同人は一旦C号階段に赴いた後、同階営業部次長釘宮六助に同様のことを報告した後、他の従業員三名と消火器を持つて最初に同階段に消火に赴いたこと、右島津の報告で火災を覚知した右釘宮は直ちに「あれで消せ」などと声を出して部下に消火を命じていること、島津に火災の発生を報告した梅田房子は他の女子従業員とともにC号階段前の灰皿などを移動させていること、六階事務機売場従業員柴田保典は、洋家具売場で釘宮に仕事の相談をしているときC号階段前にいた島津と梅田の姿を認め、それと同時に同階段の煙を覚知していること、六階事務所従業員丹千鶴子は、人事報告の書類を持つて事務所を出たところでC号階段の煙を認めたが、その時既に島津が消火器で消火作業をしていたこと、六階洋家具売場従業員上島智嘉子は、同売場にいてC号階段の煙を覚知しているが、それとほぼ同時に「消火器を持つて来い、火事」という声を聞いていること、同階台所用品売場従業員中竹妙子は、同売場で商品の整理をしているときC号階段の煙を認めたが、その時には男子従業員が消火器を持つてC号階段へ駆けつけていたこと、同階レジ係山本都は前記釘宮の声で本件火災を覚知していること、インテリヤ別注部主任津留三紀は、同階家具売場で「火事」という声を聞いた直後に前記丹が消火器を持つてC号階段の方へ駆けていくのを見たことが認められ、これらの各事実を総合すれば、六階で最初に本件火災を覚知したのは、梅田房子であり、同女はC号階段から店内に侵入した煙によつてこれを覚知し、その直後に釘宮も本件火災を覚知していることが認められる。一方、六階和家具売場従業員堀春洋は、午後一時二〇分を一、二分過ぎたころ六階事務所に帰つて来たが、そのとき同階には何ら異常は認められず、右事務所で帰つて来た時間を記帳した後、売場カウンターへ行き、そこで前記釘宮の「火事だ」という声でC号階段の方を見て黒煙があつたことを認めている(なお、右堀が昼食をすませるなどした後六階事務所に帰るまでの行動には、他の証拠関係に徴し俄に措信できない部分もあるが、右事務所に帰つた時間が午後一時二〇分を一、二分過ぎていたという供述部分については、同女の当日の昼休み時間が午後一時二〇分までとなつていたため、昼休み時間の超過を気にしており、そのため事務所に帰つた際、その時間を自分の腕計で確認したところ昼休み時間を一、二分経過していたが、本来事務所に帰つて来る時間となつていた午後一時二〇分と記帳した旨極めて自然な供述をしており、十分措信できるものである。)。以上の各事実を総合すると、六階で最も早く本件火災を覚知した梅田房子の火災覚知時間は早くとも午後一時二一分以降と認められる。

5  七階

(証拠略)によれば、七階食堂ウエイトレス田尻都子は、C号階段の前記木製ドア越しに煙を認めて食堂の中央へ行き、客に対し両手を上げて「火事」と叫び、その後調理場へ行つて「火事」と叫んでいること、同ウエイトレス森川敏子、飯田眞理子、宮川絹子、食堂課長竹田昭夫及び中華料理部従業員松岡博は、いずれも右田尻の「火事」という声で本件火災を覚知していること、右竹田及び松岡の両名は田尻の「火事」という声を聞いた後、竹田は七階事務所から、松岡は調理場からそれぞれ食堂ホールに駆けつけたが、その時七階南側壁に設置工事中のダクトから黒煙が噴き上げていたこと、また森川敏子は、C号階段東側にある従業員控室に居て田尻の「火事」という声を聞き、C号階段へ赴くと同階段の扉の隙間から白煙が出ていたので、扉を開けたところ黒煙が噴き出したこと、宮川絹子は、食堂ホールに居て田尻の「火事」という声を聞き、同ホールを見渡したところ、右工事中のダクトから白煙が出ていたこと、買物客の原スイ、地階従業員石原良子らは、いずれも食堂女子従業員の声で火災を覚知し、食堂ホールの煙に気付いていることが認められ、以上の各事実によれば、七階における本件火災の第一発見者は田尻都子であり、C号階段の煙によつてこれを覚知したものであると認めることができる。一方、七階で開催されていた北海道物産展でアルバイトとして働いていた和田英子は、七階食堂で食事を終えたが、その時間が午後一時二五分であることを腕時計で確認した後、食堂入口の食券売場の公衆電話で友人に電話をかけ、その呼び出し音を一二回まで数えた時、食堂ホールの方から「火事」という女性の声を聞いており、前記各事実に徴するとその声は前記田尻のそれと認められる。従つて、七階における本件火災の第一発見者である田尻都子がC号階段の煙を覚知したのは、午後一時二五分過ぎであると認定することができる。

五  火災当時の店舗本館の在館者数

(証拠略)を総合すると、本件火災当時、店舗本館に在館していた従業員、客及び工事関係者の総数は、一、〇〇〇名足らずであつたと認められる。

六  三階交換室の状況及び各階に対する通報

(証拠略)によれば次の事実を認めることができる。

1  三階交換室の状況

電話交換室は本件火災当時本館三階北西隅にあり、その勤務体制としては、七名の電話交換手のうち六名が出勤し、三名が一時間交替で電話交換業務に、残り三名のうち一名が放送業務にあたり、他の二名は休憩をとることになつていた。放送業務としては、催し物の案内、客・従業員等の呼び出し、迷子や落し物の案内等を店内に放送し、右案内等がない時はレコードやテープで店内に音楽を流していた。交換業務のうち、外部からの電話を内部へ、内部からの電話を外部へ繋ぐことには変化はなかつたが、当日からは、従来の共電双紐交換機から自動双紐交換機に変わつたため、内線相互については、ダイヤルを回わすと交換を通さずに通話が出来るようになり、また、従来は受話器をはずせば交換が出ていたのが、当日からはダイヤルの九番を回すことにより交換室を呼び出すという方式に改まつた。本件火災当日、右電話交換室には、主任の木村礼子、交換手芥川(旧姓谷口)幸代、馬渡仁美、椎葉惠子、道喜陽子及び吉田玲子の六名が出勤しており、午後一時からは芥川幸代、馬渡仁美、椎葉惠子の三名が交換台に、道喜陽子が放送台につき、木村礼子及び吉田玲子は休憩中であつた。

2  通報状況

前記のように宮崎千代子は、被告人酒井に火災を知らせた後、手芸品売場の方の女性(前記竹下厚子及び福永慶子の各供述部分によれば、福永慶子と認められる。)の「電話」という声を聞いて寝具売場の電話を使い、交換室に三階の裏階段が火事であるという簡単な連絡を行い、これを受けた芥川幸代は、主任の木村礼子に対し、三階が火事である旨知らせた。しかし、木村は、以前店内での事故の際救急車などを呼ぶ時はよく事情を判断してから呼ぶように被告人山内藤吉から注意を受けたことなどから、他の交換手に対しても一一〇番や一一九番に通報する場合には人事部に連絡するように言つており、自分で判断できない事項については人事部のほうの指示を受けようと思つていたうえ、これまで火災発生の際の全館に対する通報の方法について一度も訓練を受けたことがなく、また、指示を受けたこともなかつたため、芥川から三階が火事である旨知らされた際も、一旦は全館への連絡及び一一九番通報を考えたものの、人事部から指示を受けないまま全館に放送すれば、大事に至らない場合に無用の騒ぎになると考えて、直ちに店内放送をすることを逡巡し、馬渡からも「店内放送はいらないのですか」と申し出られたのに、これを制止し、人事部や社長に対する連絡に手間取つているうちに、電話交換室にも煙が侵入してきたため、何らの通報もしないまま電話交換室から出て避難してしまつた。前記第四、一、2のように、宮崎が交換室に連絡した外、福永慶子、竹下厚子、福田セツ子らが交換室に電話したが、福永の場合には通じず、竹下及び福田の場合は電話機の操作を誤つたため通じず、福田が電話交換室に走つて、交換手に火事だから連絡をとつてほしい旨伝えたが、すでに宮崎の電話連絡があつた後であつた。なお、この外に、三階従業員が店内電話を使つて上層各階に火災の発生を通報したことはない。

被告人酒井は、宮崎から火災である旨知らされてC号階段に行き、火災の状況を見た後従業員に対し消火器を持つて来るように指示して、付近のダンボール箱を動かしたり、座布団棚を移動させようとするなど延焼の防止に努め、消火活動に気を奪われて通報の指示は行つていない(なお、被告人酒井の供述部分によれば、火災発生を電話交換室に連絡しようと思つた時、三階従業員船津庄一が交換に知らせようと言つたので自分は何も言わなかつた旨述べているが、(証拠略)によつても、船津において交換室に連絡したとは認められず、被告人酒井の右供述部分は俄に信用できない。)。以上のように全館に対する火災発生の通報はついになされておらず、四階以上の各階への個別的な連絡もなく、前記第四、四で述べたとおり、四階以上の各階はすべて階段等から侵入してきた煙などによつてはじめて火災を覚知するという状況であり、火災覚知が著しく遅れたばかりでなく、各階においては、火災の状況を的確に把握することができなかつたものである。

七  各階における消火、避難誘導状況

(証拠略)によれば、火災各階における消火、避難誘導状況は、次のとおりである。

1  三階

前記第四、一、2のとおり、榎田が最初C号階段シヤツターボタン傍にあつた消火器で消火しようとしたが作動せず、ダンボール箱を動かすなどした後、電話交換室付近にある消火器を持つて来て婚礼布団にかけた外は、従業員便所でバケツに水を汲んで燃えている布団にかけた従業員が数名いたが、身の危険を感じ途中で放り出して逃げた者もいた。その他消火栓による消火活動は全く行われず、前記のように延焼を防ぐためにダンボール箱を動かしたり、座布団棚を動かすなどの行動に出た者がいたにすぎない。避難誘導についても、前記のように前田實が客一名と従業員九名を北側中央階段から降ろしたのみで、小物売場主任田村常信が誘導しようと大声を出した時にはすでに客等は避難した後であつて、その外に避難誘導は行われておらず、各自が従業員階段、中央階段などを利用して階下に避難した。

2  四階

四階では、前記宮本和彦が、前記西本公一の「お客さんを誘導せよ。消火器を持つて来い」という声を聞いて、同階イージーオーダー売場事務室へ消火器を取りに行つたが探し出すことができず、消火活動を断念し、それ以外に消火活動に従事した者はおらず、四階における消火活動は全然行われていない。また、避難誘導も行われておらず、避難の遅れた客、従業員は、従業員階段の方へ向つて逃げ出し、十数名が従業員便所へ逃げ込んだ。一方、本件火災を覚知した増築現場の工事関係人らは、四階従業員便所から助けを求める声などを聞き、同便所の窓や従業員階段北壁の増築現場へ通ずる鉄扉を工事用の鉄パイプなどで破壊して救助活動を行つたが、時期を失したためその殆んどは死亡していた。地上へ避難した従業員はおおむね従業員階段を利用しており、早期に火災を覚知した買物客進藤ヵ子は、中央エスカレーターを利用して無事地上へ避難した。

3  五階

五階では、前記月足和博が四階イージーオーダー売場へ消火器を取りに行き、また、前記岩崎清憲が中央エスカレーター横に設置してある屋内消火栓を引つ張り出すなどしているが、消火活動は行つていない。避難誘導については、前記林熙美が鍵を使つて従業員階段北壁の鉄扉を開けて客、従業員を避難させ、右月足和博も同扉から増築現場に避難した後、その出口で鉄パイプを叩くなどして避難誘導を行い十数名を避難させたが、当初からの組織立つた避難誘導ではなく、煙に追われた従業員八名が南東隅カメラ、時計修理部へ逃げ、その窓からアーケード上に転落するなどして負傷し、客数名が上層階へ避難した。

4  六階

六階では、前記梅田房子から火災発生の知らせを受けた前記島津貞治、柴田保典らが、火災発生の全館放送が全く行われなかつたために火災状況を把握できず、C号階段の煙を同階段踊場に置いてあつたストーブからの煙であると思い込み、消火器を用いて煙に向けて数分間にわたつて消火活動を行つたが効果はなく、右C号階段六階に煙が侵入した時間は、午後一時二一分過ぎであり、そのころ火災は三階付近にあつたのであるから、結局通報の懈怠が貴重な避難時間を無益な消火活動に浪費させる結果となつた上、早期の避難誘導も行われず、避難が遅れ、六階店内に侵入してくる煙に追われ、右島津貞治、柴田保典らが煙の侵入の遅れた南東隅事務所へ客、従業員を避難誘導したが、従業員九名がそこからアーケード上に転落するなどして負傷し、脱出できなかつた二五名が同所付近で死亡した。また、六階室内装飾品売場主任の門岡連が、同売場北側壁のベニヤ板をはがして増築現場へ脱出口を作り、ここから十数名が避難した。

5  七階

七階では、前記のとおり、火災覚知が遅れたこともあり、消火活動は行われておらず、避難誘導については、前記竹田昭夫が同階から屋上へ通ずる階段の傍で「上へ上がれ」と叫んだ以外、組織的な避難誘導は全く行われていない。

6  屋上

屋上には、煙に追われた客、従業員など百数十名が避難したが、工事関係者らによる増築現場への避難誘導及び午後一時四三分から開始された消防梯子車による救出活動などによつて全員地上へ避難した。

第五被害状況

一  死亡状況

1  (証拠略)によれば、別表第一記載のとおり(但し、同表番号27の「広瀬英子」を「廣瀬英子」と、同番号43の「橋本てる子」を「橋本てるこ」と、同番号51の「田上千穂人」を「田上千穗人」と、同番号52の「田上智恵子」を「田上智惠子」と、同番号59の「辻陽子」を「辻洋子」と、同番号63の「高木京子」を「木京子」と、同番号69の「樽井五十子」を「樽井五十子」と、同番号91の「迫本徳子」を「迫本子」と、同番号92の「清田禮子」を「清田子」と、同番号95の「油谷真理子」を「油谷眞理子」とそれぞれ改めたうえ)新亀喜ら一〇四名が一酸化炭素中毒などにより死亡したが、被災場所はすべて三階ないし七階であり、その死因は一酸化炭素中毒に基づく脳病変による全身衰弱によつて昭和五五年一二月一六日入院先の国立熊本病院で死亡した井本義盛を除き、いずれも有毒ガス、一酸化炭素中毒、酸素欠乏及び窒息などであつて、各階の死亡者の内訳は、三階一名、四階四一名、五階一名、六階三一名、七階三〇名であること、各階における死亡者の被災場所は、別紙図第二―一から第二―五に図示するとおりであること(但し、前記井本を除く。)が認められる。

2  三階及び五階で死亡者が各一名と少なかつたのに、四階、六階及び七階で大量の死亡者を出した原因について検討するに、前記のとおり、三階は、火災発生状況から火災覚知が最も早く、また、後記のとおり地上への避難退路が遅くまで確保されていたからであり、五階は、前記のとおり中央エスカレーター回りのシヤツターが工事中のため当初からすべて閉鎖されており、C号階段のシヤツターも自動的に降下したため、他の階に比し煙の流入が遅れたこと、火災覚知が午後一時二一分ころと三階に次いで早かつたこと、前記林熙美が従業員階段北側の扉を開けて客、従業員などを増築工事現場へ避難させるなど、他の階に比して避難誘導も多少行われたことによるものであると考えられるのに対し、四階では、前記のように三階の直上階でありながら火災の覚知が五階より一分も遅れているうえ、四階店内在館者への火災発生の知らせも行われておらず、避難誘導もなく、(証拠略)によれば、午後一時二六分ころまで火災の発生に気付かない者がいたり、状況がわからず指示をまつて売場内に相当の時間とどまつている者がいたことなどから、避難開始が遅れ、避難口を探して逃げ回るうちに侵入してきた煙によつて避難退路を絶たれ、また、前記のとおり防火シヤツターが陳列棚などの障害物などによつて閉鎖せず、煙の侵入を遅らせることができなかつたことによるものである。六階では、前記のとおり、五階に次いでC号階段の煙によつて火災を覚知しているものの、無益な消火作業に時間を浪費して避難誘導が行われず、防火シヤツターについても、C号階段シヤツターはレールに角材を入れてその降下を妨げ、中央エスカレーター回りの防火シヤツターは工事中で一部が取りはずされており、中央階段防火シヤツターも商品陳列棚などによつて降下を妨げられたため、煙の流入を遅らせることが出来なかつたことなどによるものであり、七階は、前記のとおり火災覚知が午後一時二五分過ぎと大幅に遅れたうえ、(証拠略)によれば、一時避難場所としての屋上への避難口である階段が一個しかなかつたことなどによるものであると考えられる。また、全体的に見ると、前記のとおり煙は店舗本館中央からいずれも西側に位置するC号階段、中央階段、従業員階段、中央エスカレーターなどから各階に侵入しており、煙の侵入口と反対方向の店舗内本館東側に全く避難口がなかつたため、避難退路を絶たれるのがそれだけ早かつたものと認められる。

3  以上の各事実を総合すると、いわゆる「二方向避難の原則」に合致した避難口を確保し、火災発生の際早期通報を行い、各階在館者に火災の状況を十分把握させ、適切な避難誘導を行えば、死傷者の発生を防止することが出来たものと認められ、殊に、(証拠略)によつて明らかなように、同女らが火災を早期に覚知し、エスカレーター、階段などを利用してそれぞれ四階及び五階から無事一階まで避難していることからも、早期通報の重要性が顕著に認められるところである。

二  受傷状況

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。

1  別表第二記載のとおり、六七名が各受傷しているところ、その受傷者を態様別にみると、避難の途中階段で転倒するなどして挫創等の外傷を負つた者が一一名、煙に巻かれて中毒性気管支炎、一酸化炭素中毒、急性ガス中毒の傷害を負つた者が二二名、同様に急性ガス中毒等の傷害を負うとともに避難の途中挫創等の外傷を負つた者が一〇名、煙に追われて五階南東隅窓からアーケード上に転落しあるいはロープで避難する途中挫創等の外傷を負つた者八名、同様に六階南東隅窓から同様にアーケード上に転落するなどして骨折等の外傷を負つた者が九名、六階北側室内装飾品売場の窓から増築工事現場へ避難する際一酸化炭素中毒、挫創等の傷害を負つた者が七名である。

2  受傷の状況を見ると、火災覚知が遅れたうえ、火災状況がわからずに他の指示を待つたり、あるいは煙を認めたものの消防訓練と思い込んだり、大事に至らないと考えたりして避難が遅れて受傷したものである。

3  なお、(証拠略)には、歌野章則が三階従業員階段横扉から救出された旨の供述部分があるけれども、(証拠略)によれば、右歌野が救出された扉は工事関係人らによつて破壊された扉であり、同扉横の便所の窓が破壊され、そこから女子従業員が搬出されていたことが認められるし、(証拠略)によつても、従業員階段横扉及びその東隣の便所の窓が工事関係人によつて破壊され、かつ、その窓から女子従業員が救出されたのは四階であつたことが認められるので、右歌野章則は四階から救出されたものと認めるべきである。右斉木、木村、高浜、中村らが三階である旨供述しているのは、同人らがいずれも増築現場の階段を利用して上つており、店舗本館の階数との関係が分かりずらくなつていたため階数を勘違いしたものと認められる。また、東千満代の司法巡査に対する供述調書抄本には、同女が従業員階段五階の扉から増築現場へ避難した旨の供述部分が存するが、一方では、右扉が誰かの手によつて打ち壊わされており、自分がそこに行つた時それが開いていた旨の供述があるので、前記第四、七、2の事実に徴し、同女が避難したのも四階であつたと認められる。

第六避難の可能な時間及び所要時間

一  避難可能な時間

1  (証拠略)によれば、右榎田満善は三階から従業員階段を通つて避難したが、その際負傷することなく同階段を一階まで無事に降り、同階一階の出口のところで腕時計を見たところ午後一時二五分であつたこと、また岡本二三男は、右榎田に遅れて三階から右従業員階段を通つて一階まで負傷することなく避難しているが、同階段内の煙には気付いておらず、被告人酒井は右岡本から更に遅れて右従業員階段を一階まで避難しているが、その際にも従業員階段に煙はなかつたことが認められる。更に、(証拠略)によれば、七階食堂洋食部調理師藤本謙一は、五階で火災を覚知して従業員階段を七階まで駆け上がつたが、その間同階段では煙を感じなかつたのに、その後七階調理場の消火器を持つて食堂ホールへ赴いたところ、工事中の南側壁のダクトから黒つぽい煙が出ているのを見ているが、前記第四、四、5のとおり、右七階南側壁ダクトからの煙は、同階で火災を最初に覚知した田尻都子が、C号階段の煙に気付いた後出始めたものであるところ、右田尻の火災覚知は午後一時二五分過ぎであつたから、右藤本が七階に着いたのは同時刻ころと認められ、従つて、そのころまで従業員階段にはまだ煙は侵入していなかつたことが認められる。ちなみに(証拠略)によれば、四階にいた同女も火災覚知後五分以上経過して従業員階段へ避難したが、同階段へ赴たときには未だ煙はなく、同階段を降り始めたところ、三階の方から煙が上がつてきた旨供述するのであるから、前記第四、四、2のとおり、四階での火災覚知時間が午後一時二二分過ぎであることから考えてその約三分後である午後一時二五分ころは、まだ従業員階段に煙が侵入していなかつたと認めることができる。従つて、同階段はそのころまで避難階段として利用できたものと認められる。

2  右のように、午後一時二五分過ぎまで、三階の従業員階段に煙が侵入していないこと、従つてまた同階段の三階以上の階にも煙が侵入していないことが認められるところ、中央階段は右従業員階段から便所を隔てた東側にあることを考えると、中央階段にもそのころまで煙は侵入していなかつたと推認できる。

3  以上のように、従業員階段及び中央階段への煙の侵入が午後一時二五分以降であつたことから、少なくとも午後一時二五分までは三階ないし七階の各在館者は従業員階段及び中央階段を利用して一階に避難することが可能であつたというべきである。

二  避難に要する時間

1  (証拠略)によれば、三階ないし七階の各階から一階に避難するに要する時間は別表第四のとおりである。

2  (証拠略)によれば、京都丸物百貨店(現近鉄百貨店)のデパート火災の際は、午後二時四〇分ころ、同百貨店四階カーテン売場から出火し、火は五分後にスプリンクラーによつて消火されたが、火災発生後直ちに全館に対してその通報がなされ、午後二時四一分三〇秒ころには、各階において避難誘導が開始され、午後二時四六分ころには、火災当時一階から屋上までの各階に在館していた約三、二〇〇名の客、従業員が、全員館外へ無事避難しており、また、三階以上の在館者が全員二階まで避難したのは午後二時四五分ころであり、避難誘導開始後三分三〇秒で全員を無事二階まで避難させているのであつて、ちなみに同百貨店は右火災当時地下一階、地上七階建の建物であり、本館西側で増築工事が進行中であつたことが認められる。

3  そこで、右12の各事実に、大洋デパート店舗本館の構造及び本件火災当時の店舗本館の在館者数が前記のとおり一、〇〇〇名足らずであつたことを合せ考慮すれば、三階から屋上までの各階在館者が無事一階まで避難するのに要する時間は、最大に見積つても四分三〇秒であり、安全階である二階までの避難であれば三分三〇秒しか要しないものと認められる。

第七被告人らに対する刑事責任の有無

前記第三ないし第六のように、公訴事実のうち、株式会社太洋の店舗本館が防火対象物であり、山口亀鶴が同社代表取締役であつたこと、営業中の店舗本館には、不特定多数の客及び従業員を収容しており、火災当時は店舗本館北側の増改築工事と店内の防火設備工事とが施工中であつて、そのため既設の本館北側非常階段が撤去された結果、避難階段が本館西側に偏在する状態となり、しかも本館の窓は殆どがベニヤ板などで覆われていたうえ、店内には可燃性商品が大量に陳列されていたこと、公訴事実記載の日時に同記載の場所付近から出火した火が上層階に燃え拡がり、店舗本館三階以上の内部がほぼ全焼するに至つたこと、右出火の際、早期に消火できずに延焼させ、客や従業員らに対する火災発生の通報の機を逸し、適切な避難誘導もなされず、火煙が店内に充満したことによつて店内の客及び従業員らのうち一〇四名を一酸化炭素中毒などにより死亡させ、六七名に対し全治不明ないし加療約二日間を要する一酸化炭素中毒症、骨折、挫創、打撲傷などの傷害を負わせたことの各事実を認めることができる。そして、前記第三、五でみたとおり、大洋デパートでは火災当日まで、各階の消防編成があるだけで、全館を通じての自衛消防隊の編成はなく、全館の消防訓練はもとより、各階の消防編成に基づく訓練も一度として行われたことはなかつたものであり、また、昭和四五年八月に当時の防火管理者であつた古閑営繕部長が退職した後は、昭和四七年一二月一五日付で被告人園田を防火管理者とする選任届がなされるまで後任者を選任することなく放置し、その後に防火管理者に選任された被告人園田は、後述のとおり防火管理者として相応しい地位及び権限を有しないものであつて、大洋デパートにおける防火管理体制は甚だ不備、杜撰であつたことはきわめて明らかである。本件火災に際し、自動火災報知設備が作動して火災をベルによつて知らせるとともに、火災覚知後すみやかに店内放送を通じて全館に火災の通報と避難を呼びかけ、あるていど避難誘導が行われたならば、火災を早期に覚知した者が無事に避難していることや、前記避難所要時間に照らし、客、従業員、工事関係者とも全員無事避難することができ、前記死傷の結果は回避されたであろうと認められ、避難通路の確保や、消火設備等はその避難をより容易にしたはずである。しかし、大洋デパートでは、そのための態勢が整つておらず、訓練も全くなされていなかつたために、多数の者が逃げ遅れて火煙にまかれて死亡し、あるいは無理な脱出を余儀なくされて負傷するという結果を招来したものである。代表取締役山口社長は、前述のとおり株式会社太洋を一代で築き上げた実力者であり、大洋デパート経営の最高責任者として君臨していたものであつて、消防法八条により、防火対象物である百貨店の管理につき権原を有する者として、法定の資格を備えた防火管理者を選任し、これを指揮監督して、消防計画の作成、消火、通報及び避難訓練の実施、消防の用に供する設備等の点検及び整備、避難又は防火上必要な構造及び設備の維持管理その他防火管理上必要な業務を行わせるとともに、同法一七条により防火対象物の関係者として、消防用設備等の設置及び維持をなすべき業務責任を負うものであるところ、本館店舗の前記状況から万一火災が発生した場合には多数の生命身体に危害を及ぼす危険のあることを予測できたのに、大洋デパートに実質的な地位権限を有しその業務を遂行する防火管理者がいないことを知りながら、そのまま放置し、消防計画の作成をはじめ各訓練の実施や消防設備の確保等を怠つたものであることは否定しがたいところである。だが、同人は昭和四九年一二月三日死亡して、同月一七日公訴棄却となり、更に、常務取締役であつた山内友記も昭和五六年一〇月二五日死亡し、同月二七日公訴棄却となつたもので、以下に被告人三名の刑事責任、とりわけ業務上の注意義務の存否について検討する。

一  被告人酒井實の刑事責任

1  最初に、被告人酒井が前記第一の公訴事実のような業務上の注意義務を負つていたか否かを検討するに、(証拠略)によれば、被告人酒井の経歴、会社内における地位、職務内容、火元責任者としての地位及び消防編成は次のとおり認められる。

(一) 被告人酒井の経歴

被告人酒井は、昭和二七年八月一日株式会社太洋に入社すると同時に大洋デパート三階実用呉服売場の主任となり、昭和四二年四月には五五歳の定年を迎えたが、その後も嘱託社員として勤務することになり(昇給は多少違うが待遇は正社員と同じ)、同年五月に正式の辞令をもらつて三階売場の課長(第三課長)兼実用呉服売場主任となり、本件火災当時も右役職にあり、昭和五一年四月一五日に退職した。

(二) 被告人酒井の会社内における地位、職務内容

(1) 三階には、京呉服売場、実用呉服売場、既製呉服売場、寝具売場、小物売場、タオル売場、手芸品売場、履物売場、誂え部などの売場があり、従業員が約七六名おり、被告人酒井は第三課長として同階の売場責任者であつて、その下に約一二名の主任がいた。右課長の職務内容については、正式な内部規定などなかつたが、主に商品の仕入れ及び売上げの調節並びに管理、従業員の人員配置及び管理並びに指導、盗難の予防などである。

(2) ところで、(証拠略)中には、火災の予防並びに災害発生時における客や従業員の避難誘導も課長の職務内容に含まれる旨の供述があるが、防火管理業務はかなり専門的な知識を要求されるため、消防法令上、防火管理業務に関する指揮命令系統を企業の一般業務の指揮命令系統から切り離し、防火対象物の管理権原者―防火管理者を中心とする別個のものとしているのであるから、企業の売場課長であることから直ちに防火管理の責務が生じるとはいえず、同課長が社長から特に防火管理業務につき委任を受けたと認めるに足る証拠はない。

(三) 被告人酒井の三階火元責任者としての地位

大洋デパートでは、すでに古閑光男が防火管理者であつたころから火元責任者というものがあり、被告人酒井の前任者である増野課長時代には、同人が火元責任者で、被告人酒井が副火元責任者となつたことがあるが、各階の長が自動的に火元責任者となり正副の火元責任者を名札により表示することになつていたところ、右古閑は昭和四二年一一月二一日付「火災予防其他について」と題する書面に火元責任者は各階の課長が特命なくても任ぜられ、副火元責任者は火元責任者が任命する旨記載して各所属長宛配布し、昭和四三年三月ころには、右と同旨の記載をなした火災予防旬間実施計画表を作成して、稟議書と一緒に山口社長などの決裁を受け各階に配つていたところ、被告人酒井は昭和四二年五月三階の課長となつたが、火元責任者になるについて特に指示はなく、右のような慣例から課長となると同時に火元責任者となつたもので、副火元責任者に寝具売場主任の山崎輝夫を指名した。

(四) 各階消防編成表の作成

被告人園田が昭和四七年五月一九日ころ、従来存在していた「消防編成」と題する書面に二、三の事項を記入し、これをコピーした表(別表第五)を各階の長の机の上に置いたあと、各階の長がそれぞれ具体的な班編成をしたもので、同被告人が直接各階の課長に右消防編成について具体的内容を説明したり、通報連絡班、避難誘導班、消火班など各階における具体的な班編成を行つたものではなかつた。被告人酒井も、右コピーした表が机の上に載せてあつたことから、誰が配付したかわからないまま各班に人員を割り振つて書き込み、翌日ころの朝礼で発表し事務所の壁に貼つていた。前記のように、大洋デパート全体の消防編成はなく、従つて全体の自衛消防隊と言つたものもなく、全体的な防火訓練や避難誘導訓練は一切行われておらず、三階においては、前記山崎主任が朝礼の際消火栓、消火器の場所などを説明したことはあるが、三階独自で防火訓練や避難誘導訓練を行つたこともなかつた。

(五) 以上のように、被告人酒井は店舗本館三階の火元責任者であつたことが認められ、この点については弁護人ら及び被告人酒井も認めるところであるが、その火元責任者としての職務内容が何か、また同被告人が三階の自衛消防隊の責任者といえるかにつき次に検討する。

(1) 消防法令は、管理権原者及び防火管理者につきその責務内容を具体的に規定しているうえ、防火管理者については資格要件まで定めてあるのに対し、火元責任者や自衛消防組織についてはその責務内容など具体的に規定しておらず、その内容自体が不明確なものとなつている。すなわち、消防法八条は、所定防火対象物の管理権原者に対し防火管理者の選任を義務づけ、この者に防火管理上必要な業務を行わせるものと規定している。更に同法令はいわゆる防火管理業務を規定し、防火管理者は、当該防火対象物について消防計画を作成し、当該消防計画に基づく消火、通報及び避難訓練の実施、消防用の設備、施設の点検及び整備、火気の使用又は取扱いに関する監督、避難又は防火上必要な構造及び設備の維持管理その他防火管理上必要な業務を行うとされ(同法八条一項)、かつ右の消防の用に供する設備等の点検及び整備又は火気の使用若しくは取扱いに関する監督を行うときは防火管理業務に従事する者等に対し必要な指示を与えなければならず、政令で定めるところにより消防計画を作成し、これに基づく消火、通報及び避難の訓練を定期的に実施する責務を与えられている(同法施行令四条)。また、消防法八条は防火管理者につき政令で定める資格を有する者のうちから定めるとし、同法施行令三条にその資格要件を具体的に定めている。これに対し火元責任者については、同法施行令四条二項の防火管理者の責務のところに、火元責任者その他の防火管理の業務に従事する者に対し必要な指示を与えなければならないと規定されているだけであり、自衛消防組織については、同法施行規則三条一項一号に自衛消防の組織に関することが消防計画を作成する際の所定事項として出ているにすぎない(なお、危険物施設については、同施設における火災の特殊性から、消防法一四条の四で自衛消防組織の設置を義務づけ、危険物の規制に関する政令三八条の二で、その編成方法を具体的に規定しているのと対照的である。)。

(2) そこで、まず火元責任者の職務内容について考えるに、消防法施行令四条二項が、防火管理者は消防用設備等の点検及び整備又は火気の使用若しくは取扱いに関する監督を行うときに火元責任者などの防火管理業務に従事する者に対し必要な指示を与えなければならないとしていること、前記のように不明確な概念ではあるが、同項で火元責任者という語を用いているのは従来使用されていた用語を法文化したと考えられること、一般的に火元責任者は火気の取締りがその任務と考えられていることなどを合せ考えると、火元責任者の責務としては火気の取締りにあると解するのが相当である。従つて、火元責任者であるということから受持ち区域における火災の消火、通報、避難の訓練の実施並びに火災発生時における部下従業員を指揮して消火、通報、避難誘導などを行う業務に従事していたものとは言えない。けだし、前者の各訓練の実施は、前記のとおり防火管理者の責務であり、たとえ受持区域における訓練であつても、別個独立に存在する業務とは言えず、後者は、火災の際における消火、通報、避難誘導という消火を中心とする自衛消防組織面における業務である。大洋デパートにおいては、前記のとおり火元責任者というものは古くから存在していたが、火元責任者となるについて特別な指示や辞令もなく、各階の長が自動的に火元責任者になるという方式をとつており、正副の火元責任者の名前を名札で表示しているにすぎないこと、大洋デパートでは消防計画が作成されたことはなく、火元責任者の責務につき前記のように一般に考えられている以上の責務を与えた内規等も存在しないこと、(証拠略)によれば、古閑光男が防火管理者営繕部長として昭和四三年三月二日起案した前記「火災予防週間について」と題する稟議書添付の「春の火災予防旬間実施計画表」というものがあり、その中で火元責任者の行わなければならないことに日常の防火管理に関することと定期検査に関することの二つが挙げられ、前者には、喫煙及び火気使用に関することやその他火災予防上必要なことなどが、後者には、消火器の外部検査、火気関係施設及び器具の管理状況の検査がそれぞれ挙げられ、火災予防が火元責任者の責務として挙げられているところ、右計画表は、古閑が防火管理規定を制定するため立案中に暫定のものとして作成したものであるが、古閑は昭和四五年八月ころ退職し、結局防火管理規定なるものは制定されていないこと(なお、前記「火災予防其の他について」と題する書面は、株式会社太洋防火管理者名で各所属長宛出された文書であり、昭和四二年一一月二二日に消火避難設備などについて市消防局係員による査察が実施されるということで出されたもので、前記「春の火災予防旬間実施計画表」という文書が作成される以前のものであるところ、右「火災予防其他について」と題する書面の教育指導のところには火元責任者は非常時における社員の行動について充分指導のこととして、(イ)火災発生時に発見者が直ちに所属長及び一〇階事務所に連絡すること、(ロ)付近の者は先ず客を安全に誘導避難させること、(ハ)消火器係は、消火器により火元の消火を行うこと、(ニ)消火に支障となる品物の移動をすること、(ホ)商品を搬出し、保管すること、(ヘ)盗難防止の六項目の記載があるが、右記載から、火災発生時に火元責任者が従業員を指揮して、消火、通報、避難誘導をさせたり、各階ごとに消火、通報、避難訓練を実施する権限を与えたと見ることはできないものであつて、火災発生時に各従業員のとるべき行動につき一般的に注意を与えたものにすぎない。)、(証拠略)によつても、火元責任者の任務は火気の取締り以上のものではないことが認められることを考慮すると、大洋デパートにおける火元責任者も火気の取締りにその任務があつたと認めるのが相当である(なお、(証拠略)には、従業員に対する消防訓練及び火災発生時の消火、通報、避難誘導も火元責任者の任務である旨の記載があるが、(証拠略)によれば、火元責任者が各階の消防隊の隊長であるということから右各任務があると考えたにすぎないことが認められる。また、(証拠略)にも、右各任務につき火元責任者の任務である旨の供述が存するが、(証拠略)を全体としてみると、消防編成表が出来た後のことについて述べていることが認められる。更に、(証拠略)にも右同様の供述があるが、いずれも消防編成の責任者ということに重点がおかれている。右各供述者の供述は、いずれも従来の火元責任者と消防編成表が作成された後の関係を明確に意識することなく述べられたものであり、前記火元責任者の任務が火気の取締りにあるとを認めるにつき妨げとなるものではない。)従つて、被告人酒井が火元責任者であるからといつて、それだけで消火、通報、避難の訓練の実施及び火災発生時に部下従業員を指揮して消火、通報、避難誘導を行う業務に従事していたものとは言えない。

(3) 次に自衛消防組織について検討するに、前記のように危険物施設に関するものを除けば、自衛消防組織の内容は明確でなく、消防法施行規則上、防火管理者が作成する消防計画の作成事項の中に自衛消防の組織に関することが掲げられているにすぎない。一般的には、自衛消防組織は事業所等で防火その他防災のために設けられる内部の自衛組織(消防法八条参照)であり、あくまで自衛上の組織として公設消防隊が到着して活動を開始するまでの間に自主的活動を行い、その後は公設消防隊の統一的な指揮に従うべきものと考えられ、具体的な編成に際しては、事業所の用途、規模、従業員の数、不特定多数が出入するものかどうか等その実態に即した編成をし、その編成に従つた訓練を十分しておくことが重要である。特に本件百貨店のように多数の従業員を有し、不特定多数の客が出入するうえ、高層建物で営業する場合、各階を基本に地区隊を編成し、これら地区隊を統轄する自衛消防隊長を中心とする全館的で組織的な編成と訓練を行うことにより有効で的確な自衛消防活動が行えるものであるが、自衛消防組織が右のように消火活動等を中心とするもので一般の営業活動と異なつてある程度専門的知識が要求され、各営業所によつてその組織内容が異なり、自衛消防組織の構成員にとつては消防計画等で自己の地位や活動内容が明確にされ、各人にその内容を十分に理解させたうえで、具体的訓練により火災時に的確に行動出来るようにさせることが必要であり、殊に自衛消防隊の隊長や地区の隊長はより専門的で重要な地位であることなどを合せ考えると、防火管理者により自衛消防組織の内容が消防計画等で具体的に規定され、とりわけ自衛消防隊の隊長や地区隊長については、その責務が明確になされたうえで当該企業等より右防火管理業務を委託又は命令されて実質的にもその業務に従事していることを要すると解するのが相当である。大洋デパートでは、前記のように消防計画が作成されたことは全くなく、全館的な自衛消防組織もなく、わずかに各階ごとの自衛消防編成があるのみで、全館的な防火訓練や避難誘導訓練も行われたことがなかつたところ、右各階ごとの自衛消防編成の経緯も前記第七、一、1、(四)で詳述したとおり、「消防編成」と題する書面を各階の長の机の上に置くなどして、各階の長などが各班ごとに人員を割り振つて作成したものにすぎないばかりでなく、右書面に対する内容の説明を受けたものも殆んどなく、同書面には「たばこの吸いがらはすみやかに処理」とか「消火器の位置及び定期確認」とか「消火栓附近の障害物の排除」という事項が記載されている外は班の名前が書いてあるだけであり、書面上に消防隊の隊長というような表示もなく、「火元責任者氏名」として、その下に火元責任者の氏名を書くようになつていたが、その責務内容についての書面上の表示はもちろん口頭の説明もなく、被告人酒井の場合も机の上に右書面が置いてあつたので誰が配布したか分らないまま各班にそれぞれ人名を書き込んで、翌日ころ各人に発表して事務所の壁に貼つていたというものである。また、(証拠略)によれば、被告人酒井は火元責任者のところに自己の名前を書くとともに、工作班の一員にもなつていたものであるが、同被告人は高令のうえに防火管理者講習会等の会合に出たことが一度もないことが認められる。以上の事実を総合すると、被告人酒井が大洋デパートより三階の自衛消防隊長としての防火管理業務を委託又は命令されて実質的に右業務に従事していたとは認められず、他にこれを認めるに足る証拠もない(なお、(証拠略)には、三階に自衛消防隊が編成されていて、同消防隊の責任者は同被告人である旨の供述があるが(証拠略)によれば、被告人酒井としては、火元責任者が消防編成表の火元責任主任だから自衛消防隊の隊長に自動的になつたと考え、右編成にあたつて説明はなかつたが、編成表を作つた以上は責任を持たなければいけないと思つたというものであり、前記三階の自衛消防隊の責任者である旨の供述は、火元責任者や自衛消防隊についての理解の乏しさから出た同被告人の主観的な考えにすぎない。)。従つて、被告人酒井は自衛消防隊の隊長として検察官主張のような業務に従事していたとは言えない。

(六) なお、以下に検察官主張のような個々の注意義務に触れることにする。

(1) 消火、通報及び避難訓練

消防法令は、防火管理業務の特殊性に着目して、その指揮命令系統を企業の一般業務の指揮命令系統から切り離し、管理権原者―防火管理者―火元責任者その他の防火管理業務従事者という別個独立の指揮命令系統としており、管理権原者を頂点に、防火管理者が企業内における防火管理業務につき中心的役割をはたし、前記のように消防計画を作成して、それに基づく消火、通報、避難の各訓練を実施する責務を負うものである。従つて、防火管理者が右各訓練を実施する際に、被告人酒井が前記の立場から三階従業員を参加させ、自らも参加するなどして協力することはあるとしても、管理権原者や防火管理者でもなく一火元責任者にすぎない同被告人が、右のような各訓練を平素から部下従業員に対し、実施すべき業務上の注意義務を負う根拠は見当らず、該権限を会社又は管理権原者から委任されたと認めるに足る証拠も存しない。

(2) 避難階段における商品などの放置

前記第三、三、2、(五)のようにC号階段二階階段室から三階と四階の中間第一踊場にかけて、三階の可燃性商品である寝具などの入つたダンボール箱が壁沿いに二段ないし三段に重ねて放置されていたが、このように放置されるようになつたのは、本件増改築工事の進行に伴い、それまで商品倉庫代りに使用していた八階文化ホールが使用できなくなつたためである。(証拠略)によれば、C号階段はあまり客が通らないことなどの理由もあつて、同被告人の指示でダンボール箱をC号階段に置くようになつたところ、同被告人は、本件火災の直前、営業部長であつた高木雅生から、店舗本館から約一五メートル離れた所にある三階建の菅沼ビルに商品を移すように指示されたが、右ビルの一、二階にはすでに荷物があり、同ビルの床面がでこぼこしていたことに加え、客の要求があれば直ちに取り出せる便利さも考えて、C号階段にそのまま商品入りダンボール箱を置いていたものであるが、右ダンボール箱内の商品はタオルなどであり、それ自体が発火するという危険なものではなく、これにより通行が著しく困難になつたともいえないことを考えると、本件においては出火ないし延焼の原因となる商品などを放置させないという注意義務の存在は認められない。

(3) 初期消火及び延焼防止

被告人酒井の立場は先に述べたとおりであつて、同被告人に、火災発生時に部下従業員を指揮して初期消火及び延焼防止を的確になすべき注意義務を肯認する根拠は見当らない。なお、本件火災の状況などは前記第四で述べたとおり、午後一時一五分ころC号階段二階上り口付近で発生した火が、同階段にあるダンボール箱を次々と焼燬し、午後一時二〇分ころ三階の従業員が火災を覚知したあと、被告人酒井は宮崎千代子から火事である旨聞いてC号階段入口付近まで行き、そこから同階段を見るとダンボール箱一個が燃えているように見えたので、近くにいた従業員に対し、消火器を持つて来るよう命じ、自ら付近のダンボール箱を動かし、座布団棚を移動させようとした際、ガスバーナーの火の様な炎が店内に吹き込んで来て婚礼布団に燃え移つたため「シヤツター」と叫んだところ、岡本二三男がC号階段のシヤツターボタンを押し、坂梨公子がD号階段のシヤツターボタンを押したものである。ところで、検察官は論告において、「被告人酒井らが三階でC号階段の煙を覚知してから店内へ炎が侵入するまで約二分間の余裕があつた」と述べるけれども、最初に火炎を覚知したのは宮崎千代子らであり、同女は一旦C号階段に駆けつけ同階段で煙などを確認した後、手芸品売場に向つて「火事」と叫び、更に実用呉服売場にいた被告人酒井に火事である旨大声で告げたので、被告人酒井はC号階段に向つたものである。従つて、宮崎千代子らがC号階段の煙を覚知したのが午後一時二〇分ころであるとしても、被告人酒井はそれより覚知時間が若干遅れているわけであり、(証拠略)によつても、宮崎千代子から火事と知らされてから、炎が店内に吹き込むまでの時間は一分位ではないかと供述しているのであつて、検察官の主張する約二分間の余裕には疑問がある。そして、初期消火の点について検討するに、最初にC号階段に駆けつけた小堀咲子や次に駆けつけた岡本二三男らはダンボール箱を取り除いて延焼を防止しようとしたが、炎の燃え移り方が思つたより早かつたこと、右岡本と一緒に駆けつけた榎田満善は消火器により消火を試みようとしたこと、被告人酒井はダンボール箱が一個燃えているように見え、付近従業員に対し消火器による消火を指示していること、窓ガラスが割れて新鮮な空気が入つて来たために三階店内に炎が吹き込んで来て、婚礼布団に火がついたことなどの事実に、大洋デパートでは防火管理者による消防計画の作成およびそれに従つた消火訓練が行われたことがなかつたこと、被告人酒井は高令で、かつ消火に関する知識がほとんどなかつたことなどの諸事情を合せて考慮すれば、店内で懸命に消火に努めていた被告人酒井がその現認した状況から判断して行動した一連の消火活動は、必ずしも適切ではなかつたが、是認しえないものではなく、消火栓の使用にまで思い至らなかつたとしても過失があつたということはできない。また、検察官は、被告人酒井が火災覚知後、直ちにC号階段入口の防火シヤツターの閉鎖をさせずに延焼防止に失敗したというのであるが、(証拠略)によれば、すぐにシヤツターを降ろせば消火活動が全く出来なくなるので降ろさなかつたが、ダンボール箱を動かしたり、座布団棚を動かすなどの行為をしている時に店内に炎が吹き込んで来たので、これ以上消火活動は無理と考えて急いで右シヤツターのボタンを押すように指示し、岡本二三男がボタンを押したが、すでに婚礼布団に燃え移つていたことが認められる。以上のような事実を考慮すると、同被告人が即時C号階段のシヤツターを降ろさなかつたことに過失があるとはいえない。

(4) 全館への通報

前記のとおり、三階の火元責任者にすぎない被告人酒井に、とりたてて火災発生時における全館への通報義務を肯認すべき根拠は見出せない。なお、三階においては、第四、六、2のように、宮崎千代子が三階の裏階段が火事であるという連絡を電話で交換室になし、これを受けた交換手芥川幸代が交換手主任木村礼子に三階が火事である旨知らせたが、同女は以前、店内の事故の際救急車などを呼ぶときにはよく事情を判断してからするように被告人山内藤吉から注意を受けたことなどから、人事部や社長に連絡することに気を奪われ、その連絡に手間取つているうちに交換室にも煙が侵入してきたため、何らの通報もしないまま電話交換室から避難したものである。被告人酒井が交換室への連絡の指示をしていないことは明らかであるが、右のように宮崎千代子がすでに連絡をしており、連絡を受けながら交換室がそれに対し迅速に対応できなかつたものであり、被告人酒井が火災の発生を通報しなかつたという点に過失を認めることはできない。

2  以上のとおり、三階売場の課長で、同階の火元責任者にすぎない被告人酒井には検察官主張のような注意義務は、法令、契約その他いずれの観点から検討しても、これを肯定すべき証拠はないから、同被告人に対する本件公訴事実については結局犯罪の証明を欠くことに帰する。

二  被告人園田正満の刑事責任

1  次に、被告人園田が前記第一の公訴事実のような業務上の注意義務を負つていたか否かを検討するに、(証拠略)によれば、被告人園田の経歴、会社内における地位、職務内容、同被告人を防火管理者とする選任届出書提出の経緯、同被告人の防火に関する仕事は次のとおり認められる。

(一) 被告人園田の経歴

被告人園田は、昭和四五年八月株式会社太洋にナシヨナル住居部建築相談員として採用され、約三か月間同相談員として働いた後、同年一一月中旬ころ、営繕部に配置換えとなり、同部営繕課の課員として勤務し、本件火災当時も右職にあつた。

(二) 被告人園田の会社内における地位、職務内容

営繕部は、昭和四五年八月に古閑光男営繕部長が辞めた後、部長がおらず、本件火災当時同部には営繕課(課長中原芳夫)、電気課(課長丸山博良)、機械課(課長中田勝富)があり、課員は全部で五名(男子四名、女子一名)であり、被告人園田は右中原課長を直接の上司とする営繕課の一従業員でその下に自ら指揮監督して使うような者は一人もおらず、同課員として主に建物の修理、維持、管理に関する仕事をしており、昭和四八年九月から五、〇〇〇円の手当が支給されるようになつた((証拠略)によれば、右手当の内容は明確でないが、(証拠略)によれば、主任待遇ということであることが認められる。)。

(三) 被告人園田を防火管理者とする選任届出書提出の経緯

被告人園田は、昭和四六年六月ころ人事部より防火管理者資格講習会を受講するように言われて、他の三名と一緒に同月八日及び九日の両日、熊本県立図書館で行なわれた右講習を受講したところ、昭和四七年一二月一五日付をもつて同被告人を大洋デパートの防火管理者とする選任届が提出された。右届出書は、人事課長の吉田行範と人事部長の被告人山内藤吉が話し合い、被告人山内藤吉が山口社長に相談した際、被告人園田にしておくように言われ、右吉田が所定事項を書いたうえ、被告人園田の了解を受け、同被告人がその職歴欄のみを記載したものであるが、同被告人は、山口社長や会社から防火管理者の辞令等の交付を受けたことはなかつた。また、同被告人は、前記古閑部長が昭和四五年八月に辞める際、同人から営繕課に関することの引継ぎは受けたものの、防火に関することについては引継ぎを受けなかつた。

(四) 被告人園田の防火に関する仕事

被告人園田は、防火管理者として選任届がなされる以前には、防火に関し主に次のような仕事をした。すなわち、(イ)昭和四六年二月一〇日熊本市大江町所在の親和寮で行われた防火管理者協議会に出席し、(ロ)同年五月一一日大洋デパート秋津女子寮が竣工したが、その消火器の見積りを行い、(ハ)昭和四七年一月二七日、熊本県福祉会館で開かれた防火管理者協議会に出席し、(ニ)同年四月一日、各階各課の火元責任者の名札の表示をし、(ホ)同年五月一五日同デパート八代支店へ行き、消防署の立入検査に立ち会い、(ヘ)同月一九日「消防編成」という表をコピーして各階に配付し、(ト)同月二三日、前記秋津女子寮の避難器具の見積りを取るなどした。右(イ)、(ロ)、(ニ)、(ヘ)、(ト)については被告人山内藤吉、(ホ)については山口社長の各指示に基づいて行つたものである。次に、被告人園田は防火管理者として届出がなされてから本件火災に至るまでに、防火に関し主に次のような仕事をした。すなわち、(イ)昭和四八年一月二三日ころ、熊本市建築指導課から消防関係、防火シヤツターまわりのケース等の査察をするとの電話を受け、各階にその旨の回覧を回し、(ロ)同月二五日、貯金会館で行われた防火管理者協議会に出席し、(ハ)同月二六日、前記市建築指導課の査察に立ち会い、(ニ)同年二月二四日、春の火災予防週間のポスターを企画課に渡し、(ホ)同年四月一九日、消防署の査察に立ち会い、(ヘ)同年九月二四日から二五日まで、本件増改築工事を請負つた清水建設株式会社熊本営業所長の西村練一、大洋デパート地下食料品売場の田中正信次長らとともに名古屋オリエンタル中村百貨店のスプリンクラー設備の配管状況の視察に赴くなどしたもので、(ニ)については被告人山内藤吉、(ヘ)については山口社長の指示に基づいて行つている。前記のとおり、被告人園田の直接の上司として中原課長がいて、右各防火に関する仕事をする際にはほとんど同人に相談したり報告するという状態であつた。

2  ところで、防火管理者制度は、公設消防活動について国民の協力を求めこれを補完しようという消防行政上の見地から設けられているもので私企業等の内部を規制せんとするものではなく、また防火管理者として選任、届出がなされたものといえども、その所属する企業等における内部規則、業務上の命令、雇傭契約等から職務上の権限を制約され得ることがあり、前記第七、一、1、(五)、(1)で述べたような防火管理業務のあり方にかんがみると、実際上もその業務権限を賦与されていなければ右業務を全うすることができない。また、昭和四七年一二月一日政令四一一号で改正された消防法施行令三条は、防火管理者の資格要件につき「当該防火対象物において防火管理上必要な業務を適切に遂行することができる管理的又は監督的な地位にあるもの」ということが附加され、同改正施行令は昭和四八年六月一日から施行されたところ、右要件を附加したのは、防火管理者の職務は、かなり高度の火災及び消防に関する知識を必要とする技術的なものであるばかりでなく、管理的又は監督的な行為もあるところから、その業務を有効に実施するためには、従来から防火管理者の資格要件とされていたものだけではなく、資格要件を高めることによつて当該防火対象物の管理について権原を有する者と防火管理者との間に一体制を保とうとしたもので、同時に右政令四一一号は、同法施行令四条の防火管理者の責務を強化して、同条一項に「必要に応じて当該防火対象物の管理について権原を有する者の指示を求め」を加え、同条三項の「消防計画に」基づいてという文言を「自治省令で定めるところにより、消防計画を作成し、これに」基づいてと改めるというように各改正しており、前記施行令三条の改正は、同令四条の防火管理者の責務の強化と相俟つて防火管理者となる者を管理的又は監督的な地位にある者に限定することにより、従来形式に流れていた防火管理体制を実効あらしめようとしたものであり、右のような地位にある者が防火管理者に選任されてはじめて防火管理上必要な業務を有効に実行できるものである。従つて、防火管理者が刑法二一一条にいう業務に従事するというためには、管理権原者によつて法令上の選任、届出がなされただけではなく、右選任、届出がされた者が管理的又は監督的な地位にあり、当該企業等より法令上の防火管理業務を委託又は命令されて実質的にもその業務に従事していることを要すると解するのが相当である。

3  被告人園田については、防火管理者としての選任届出が提出される経緯で見たように、管理権原者又は会社から辞令を交付される等明示の委託又は命令を受けたことはなかつたが、被告人山内藤吉が山口社長に相談した際、同社長が被告人園田にしておくように指示して、被告人山内藤吉が人事課長の吉田行範を通じ、右届出書の職歴欄を被告人園田に書かせ、同被告人の了解を得ていることが認められ、右届出当時会社から大洋デパートにつき防火管理者としての業務を名目上委託されたものである。

そこで、被告人園田が管理的又は監督的な地位にあつたかを検討するに、前記のとおり、被告人園田は、昭和四八年九月から五、〇〇〇円の手当を受けて主任待遇となつてはいるものの、営繕課の一従業員にすぎず、その下に自ら指揮監督して使うような者は一人もおらず、管理的又は監督的地位にあるとは到底言えない。この点について、(証拠略)によれば、営繕部電気課長であり防火管理者講習会を受講したことのある丸山博良は、被告人園田の地位が防火管理者として実質的には責任を遂行し難いものである旨述べ、また外商部次長の森田健次郎も、被告人園田は会社に入つて年月も古い方でなく、肩書もなかつたと思うし、防火管理者は建物全体の防火編成から指揮訓練をやる者だから割合重い仕事であつて、同被告人ではその仕事は適当でない旨供述し、六階営業部次長釘宮六助は、被告人園田が防火編成の用紙を配つたり査察に立ち会つているのを見たことはあるが、それらのことから現実に防火関係の仕事をしているのだろうというふうには考えず、同被告人が一社員にすぎないので、古閑の後任としては資格が足りないことから同人に代つて全面的な防火管理の責任を持つているとも思わなかつた旨述べている。更に、(証拠略)によれば、防火管理者は少なくとも課長級くらいでないと無理である旨供述しているのである。古閑光男は昭和二七年一〇月大洋に入社と同時に総務部営繕課長となり、昭和三七年ころ防火管理者に選任され、昭和四二年ころ営繕部長になつたという経歴が示すように、被告人園田の前記経歴と会社における地位、権限と比較すると、そこに格段の差異が認められる。これに対し、(証拠略)によれば、平社員である被告人園田でも消防訓練を十分やれると考えていた旨供述するが、一方では、被告人園田が上司に消防訓練をしたり組織編成をしたい等と言えば受け入れるような状況だつたかどうかはつきり分らないなど曖昧な供述をしており、また、山口社長が防火管理者を被告人園田にしておくよう言つた際、被告人山内藤吉は同社長に対し、被告人園田が入つたばかりで資格もないし、職制上主任程度であるということをわざわざ言上した旨述べている。前記のとおり、消防法施行令三条は昭和四七年一二月一日の政令四一一号で改正されたものであるが、(証拠略)によれば、昭和四八年一月二五日の前記防火管理者協議会に出席した被告人園田は、消防法令が改正になり防火管理者の資格が厳しくなつて地位権限のある人でなければならない旨聞かされ、その関係のパンフレツトも貰つたので、帰つてから人事部長に防火管理者は資格が厳しくなるので自分らでは出来ない旨申し出ており、同旨の申し出を中原課長にもしているのであつて、以上のように、被告人園田が企業内において管理的又は監督的地位になかつたことは明らかである。

次に、実質的に防火管理業務につき権限が与えられ、その業務に従事していたかどうかをみるに、前記防火に関する仕事で述べたように、被告人園田は防火管理者協議会に出席したりなどしており、(証拠略)によれば、被告人園田が退職した防火管理者営繕部長古閑光男の後任として採用されたというのであるが、前記のとおり、古閑が辞める際、同人から営繕課に関することの引継ぎは受けたものの防火に関することについては引継ぎを受けておらず、前記防火に関する仕事のほとんどが人事部長や山口社長の指示に基づいてなされており、その内容もすべて補助的あるいは連絡的な行為にすぎないものである。すなわち、消防編成についてみると、被告人園田は従来存在した「消防編成」と題する書面に二、三の事項を記載し、これをコピーして各階の長の机上などに置いたところ、各階の長がそれぞれ具体的に班を編成したもので、同被告人が直接各階の課長に右消防編成について具体的内容を説明したり、各班の編成を具体的に行つたものでなく、被告人山内藤吉の指示に従つて右コピーを各階に配つただけである。また、各階の火元責任者の名札の表示も被告人山内藤吉から言われてしたにすぎず、被告人園田が春の火災予防週間のポスターを企画課に渡したのも、ポスターを貼る場所の問題を企画課が担当していたためである。また、古閑が防火管理者の時は、各所属長宛の「火災予備について」及び「火災予防其他について」と題する各書面が株式会社太洋防火管理者名で作成されており、「火災予防週間について」という稟議書も防火管理者営繕部長名になつているのに対し、被告人園田は昭和四七年一二月一五日付の選任届がなされた後も、昭和四八年一月二四日付「課長、防火管理者殿」と題する書面や各稟議書(同年二月二四日付起案分)は営繕課名義で園田印が押してあるだけである。更に、同被告人が名古屋オリエンタル中村百貨店へスプリンクラー設備の配管状況の視察に赴いたことについても、スプリンクラー設置及び配管は田中設備事務所により設計されて既に工事を終つており、今後内装工事をすすめるに当つて、スプリンクラー配管を露出させるか天井材を貼つて隠すかの適否を検討するため、当時増改築工事を請負つていた清水建設の西村工事事務所長と共に、営繕課建築担当として視察に赴いたものであつて、被告人園田の本来の職務に属するものであつて、秋津女子寮の竣工の際の消火器の見積りなども営繕課建築担当としての同被告人の職務とみられる。前記のように被告人園田の右防火に関する仕事はほとんど直接の上司である中原に相談したり、報告するという状態であつて、山口社長から指示を受けることはあつても、自ら同社長に対し直接意見を具申するという関係はなく、直接指揮監督する従業員すら一人もいなかつた。(証拠略)によれば、昭和四八年一月二六日に行われた熊本市建築指導課の立入検査の結果、防火シヤツターを妨げるような商品陳列、階段の商品などについて是正指導を受け、同被告人は中原課長に対し、現在の防火区画を有効に使用すべきであるという考えを述べたが、同課長は商品の関係で店いつぱいに使用することはどこでもやつてるということで、被告人園田の意見は入れられなかつたことが認められ、また、(証拠略)にみられるように、同被告人は捜査段階から「自分は平社員ですから次長や課長がなつている各階の火元責任者や防火管理者の上に立つ総括の防火責任者になるんだと云う意識はありませんでした」と述べていることなどを合せ考えると、被告人園田は防火管理者に適した権限を与えられておらず、実質的に防火管理業務に従事していたとも言えず、いわば消防署との窓口的役割を果していたにすぎなかつたものと認められる。

4  以上のとおりであつて、防火管理者に相応しい地位権限がなく、実質的にも防火管理業務の権限を与えられてその業務に従事していたとも認められない被告人園田には、検察官主張のような注意義務は、法令、契約その他いずれの観点から検討しても、肯定すべき証拠はないから、その余の点について判断するまでもなく、同被告人に対する本件公訴事実については結局犯罪の証明を欠くことに帰する。

三  被告人山内藤吉の刑事責任

1  最後に、被告人山内藤吉が前記第一の公訴事実のような業務上の注意義務を負つていたか否かを検討するに、(証拠略)によれば、被告人山内藤吉の経歴等、会社内における地位、職務内容は次のとおり認められる。

(一) 被告人山内藤吉の経歴

被告人山内藤吉は、昭和二一年大洋工業株式会社に入社し、庶務などの事務をしていたところ、昭和二七年一〇月株式会社太洋の創立と同時に人事係長として入社し、昭和三〇年八月人事課長となり、昭和四一年四月には取締役人事部長となつて、本件火災当時も右役職にあり、昭和五三年一一月取締役を辞任した。

(二) 被告人山内藤吉の会社内における地位、職務内容

人事部には人事課と奉仕課があつて、その主な職務は従業員の採用、退職、配置転換、昇給などの任免関係、社員教育、各種社会保険関係、従業員の安全及び衛生管理、就業規則関係であり、吉田行範が人事課長(人事部長代理)、井薫が主任で、その外に五名の従業員がいた。一方前記第三、二、2のように本件火災当時株式会社太洋には、山口社長の下に五名の常務取締役がおり、その下に各部の部長がいたが、被告人山内藤吉は人事部長であると同時に平取締役であつた。

2  ところで、防火管理業務が、企業の一般的営業活動とは異なり、防火に関する専門的な知識が要求されるため、消防法令は、管理権原者に企業内部における防火管理業務の中心的役割を果す者として防火管理者を選任し、防火管理上必要な業務を行わせるよう義務付けているうえ、防火管理者の職務が可成り高度の火災及び消防に関する知識を必要とする技術的なものであることから、消防法施行令三条で消防本部及び消防署を置く市町村の消防長その他自治大臣の指定する機関が行う防火管理に関する講習会の課程を修了した者などを資格要件として定めており、消防法令は、右のような防火管理業務の特性から、防火管理業務に関する指揮命令系統を企業の一般業務の指揮命令系統から切り離し、管理権原者―防火管理者―火元責任者その他防火管理業務従事者という別個独立の指揮命令系統とし、それぞれ管理権原者や防火管理者の責務につき規定している。すなわち、管理権原者については、防火管理者を選任してその者に防火管理上必要な業務を行わせ、消防用設備等の設置、維持の義務を負わせる一方、防火管理者については、消防計画を作成しその計画に基づく消火、通報及び避難訓練を実施するなどの責務を負わせている。従つて、消防法令上消防計画を作成してその計画に基づいて消火、通報及び避難の訓練を実施する責務は防火管理者にあり、企業組織における取締役が人事部長であるということから直ちに右責務が生じるものではない。そこで、被告人山内藤吉についてみるに、前記のとおり、大洋デパートでは、昭和三七年ころ、古閑光男が防火管理者に選任されてその旨の届出がなされ同人は昭和四五年八月に退職するまで防火管理者として活動していたが、古閑が退職した後は昭和四七年一二月一五日付をもつて被告人園田を防火管理者とする選任届がなされるまで、大洋デパートには防火管理者は存在せず、右届出後本件火災までは被告人園田が名目上防火管理者ということになつていた。また、山口亀鶴の前記労働基準監督官に対する供述調書によれば、古閑退職後は全館の防火管理者として具体的に担当の部課長なり、重役を指示していない旨述べ、(証拠略)にも、「何も指示を受けた訳ではありませんので、私が防火管理者ということはありません」と述べた記載があり、これらを総合すると、被告人山内藤吉は山口社長から防火管理者に選任されたことは形式的にも実質的にもなく、消防法上防火管理者の責務とされる消防計画の作成及びそれに従つた消火、通報及び避難の訓練の実施をなすべき義務を負うとは言えず、被告人園田を指揮、監督してこれらを行わすべき義務があるものとも言えない。

次に、管理権原者は、消防法一七条の四に定める消防用設備等に関する措置命令が発せられた場合には当該命令の内容を法律上履行できる地位にある者でなければならず、従つて、消防法八条一項にいう「防火対象物の管理について権原を有する者」とは、建物の所有者、賃借人ないしこれらの者からその維持、管理について委任を受けた者、または職務上建物の維持、管理について責任を負う者をいうと解するのが相当である。大洋デパートにおいては山口社長が右管理権原者と認められ、被告人山内藤吉は取締役人事部長にすぎず、管理権原者ではなく、山口社長から建物の維持、管理について委任を受けたと認めるに足る証拠もなく、(なお、検察官は、被告人山内藤吉及び山内友記につき、それぞれ「代表取締役山口亀鶴を補佐して」というのであるが、山内友記は筆頭常務取締役であるから社長に次ぐ者として山口亀鶴を補佐するとはいいえても、被告人山内藤吉は、平取締役にすぎず、五名の常務取締役よりも下位であり、また、人事部長といつても、人事部の所管事項からみて、山口亀鶴を補佐して防火管理業務に従事していたとは認められないことは、後述するとおりである。)職務上建物の維持、管理について責任を負う者とも認められない。また大洋デパートにおいては、その経営責任者は山口社長であつて、被告人山内藤吉は取締役人事部長としてその指揮系列下にあつたものである。そこで、管理権原者である経営責任者については、条理上、火災事故の発生を防止するため、消防法令の趣旨・目的に添い防火管理上必要な業務を自ら履行する義務を負うべく、当該義務は消防法八条一項に定める防火管理者の選任により直ちに免責されるものではなく、その選任後においても同条項所定の防火管理者の義務とともに併存しているものと解するとしても、管理権原者や経営責任者と認められない被告人山内藤吉は、自ら又は被告人園田を指揮監督して、消防計画を作成し、これに基づく消火、通報、避難の訓練等を実施すべき業務に従事していたということはできない。

3  次に、被告人山内藤吉が人事部長であり、同部の所管事項のひとつに従業員らの安全及び教育に関する責務があつたことから防火管理者として届出がなされた被告人園田らを指揮監督するなどして、消防計画を作成し、これに基づく消火・通報・避難の訓練を実施すべき業務があつたかどうかを検討するに、消防法令が前記のように防火管理業務の特性から、防火管理業務に関する指揮命令系統を企業の一般業務の指揮命令から切り離していること、大洋デパートにおいては古閑光男が昭和三七年ころから昭和四五年八月まで防火管理者として防火管理の仕事をしており、被告人園田が昭和四七年一二月一五日付で防火管理者としての選任届がなされ火災当日もそのままであつたこと、(証拠略)によれば、水防関係については、松本進常務取締役が最高責任者になり、別個の指揮命令系統を形成していたことが認められること、(証拠略)によれば、人事課の行う安全管理は、いわゆる労働災害の防止であつて、教育の関係で地震や火災までは深く考えていなかつたというものであり、(証拠略)にも、人事部の所管する安全管理につき、安全とは勤務中に従業員に事故が起きないように注意すること及び、事故が起きた場合の措置に関するものであつて、火災時の従業員の安全は避難という別個の消防関係になると思う旨及び、社員教育に関しても、新入社員に対する労働基準で示されている一般的な周知事項や接客関係などの教育、及び就業規則に安全衛生というのがあるので事故が起きた場合に各所属長に従うようにとの指示程度である旨述べているところであつて、一般の企業における人事部の従業員に対する安全管理及び社員教育も通常はそのようなものであると思料されること、更に前記第三、二、1で述べたように、かつて庶務課の所管事項の中に消防に関する事項が含まれていたが、同課が廃止された後は消防に関する事項を所管する部課はなく、後に営繕部長古閑光男が防火管理者に選任されてその所管事項となつたところ、(証拠略)によれば、前記古閑が退職する際、消防関係の綴りあるいは消火器台帳について人事課が引き継いだ記憶がない旨述べているが、(証拠略)によつても、消防関係の書類をどこに引き継いだかはつきりしない旨述べており、人事課が防火に関する事務引き継ぎを受けたと確定することはできないこと(なお、(証拠略)によれば、防火に関して古閑部長退職後は関係書類とともにその仕事を人事部が引継いだ筈ですと述べているが、確認したというものではないばかりでなく、右供述に続けて「私としても会社全館の防火管理者として具体的に担当部長なり重役なりを指示せず又その確認をしなかつたことは私の責任であり誠に申訳ありません。」と述べるなど、防火に関して人事部に職務権限を与えたとは認めがたい。)、しかも、検察官が指摘するとおり、(証拠略)によれば、消火訓練、避難訓練などは人事部に任せておいた旨の供述はあるものの、右供述に続いて「このことについては何ら指示も確認もしていない」旨述べるなど右各訓練につき明示又は黙示の権限授与があつたと認めることはできないものである。以上の事実を総合すれば、大洋デパートにおいて人事部の職務とされる従業員の安全及び教育の中には、消防に関する業務は含まれず、また、右の安全は従業員の安全であると認められる。来客の安全はもともと人事部が独自に負うような性質のものではなく、企業は連日多数の買物客に対する商品販売により営利を図つているものであるから、客の生命・身体・財産などに対する安全を確保するため努力すべきことが要請されているが、消防面では前記のような防火管理業務の特性から、消防法上、管理権原者―防火管理者を中心に防火管理業務を行わせることにしているのであり、人事部長を含めて従業員一人一人が来客の安全につき十分関心を持つべきであるが、人事部長であるからといつて、刑法二一一条にいう業務として火災時における来客の安全を図るべき業務に従事していたということはできない。検察官は論告において「株式会社太洋の従業員もまた、人事部が消防訓練を実施すべきであつた旨供述している」として、(証拠略)を証拠として挙げるのであるが、(証拠略)を検討してもその旨の供述は見当らず、(証拠略)によれば、人事部長が防火の責任者と思つた旨の供述はあるものの、人事部が消防訓練を実施すべき旨の供述はなく(但し、(証拠略)によれば、全館的な防火訓練を行うとすれば人事部長の責任で行うべきだつた旨述べるが、その根拠として、人事部が従業員に対する教育訓練を担当していること、店内の事故につき人事部長が色々指示していること、水防関係でも人事部長が責任者だつたように思うことを挙げているところ、前記のとおり水防関係の責任者は松本進常務取締役であつて、この点は田中正信の勘違いであり、人事部が従業員の教育訓練を担当しているということからは直接防火の責任は出て来ず、店内の事故に対する指示も一般労災という面からなしただけのものである。)、また(証拠略)については、防火関係の訓練につき、従業員の安全管理が人事部の所管であることを根拠に人事部長にも責任があると思う旨供述していたところ、公判廷では一層曖昧な供述になつたものであり、(証拠略)は、人事部としては全体的な避難誘導とか、火災ということは実際にはあまり考えていなかつたが、火災後はもう少しやらなければいかんと思つたという火災後の気持を述べたものであつて、いずれも人事部が消防訓練を実施すべきであつた旨の供述と言えるか疑問であり、(証拠略)には、防火訓練などは人事課である旨の供述はあるものの、その根拠としては人事課が職員の労務管理や安全管理面からしなければならないという趣旨であるにすぎない(なお検察官は論告において直接指摘はしていないが、(証拠略)にも、大洋デパートの防火関係の責任者は被告人山内藤吉であつたと思う旨の供述があるところ、その根拠として、従業員の教育訓練や従業員及び客に対する安全確保が人事部の所管であることや、大雨が降つた場合に水害に備えて男子社員に待機するように人事部から指示があつたこと、主任以上の会議の席で同被告人が避難の妨げになるので荷物を階段に置かないようにせよなどと注意したこと、以前に作られた大洋全体の消防編成表の責任者名に人事部長名が書いてあつたことを挙げているのであるが、従業員の教育訓練やその安全確保が人事部の所管ということから人事部が消防訓練を実施すべきものとは言えず、水防関係については別に責任者がいたことはすでに述べたとおりであり、主任以上の会議の席での指示も一般的な注意にすぎず、大洋全体の消防編成がなされていないことも前述したとおりであつて、編成表につき松下自身も防水の編成表だつたかも分りませんという曖昧な供述をしており、被告人山内藤吉を責任者とする大洋全体の消防編成表が作成されたと認めるに足る証拠はない。)。また、検察官は、捜査段階においては「被告人山内藤吉は、人事部が消防訓練を実施すべきであつた旨、右業務が人事部の所管であり、したがつて、消防訓練実施懈怠の責任が人事部長であつた自分にある旨を認めていたものである。」と述べ、同被告人の各供述調書を引用しているところ、同被告人は右のような供述をしているので、検察官が引用する各供述調書を仔細に検討すると、まず、同被告人の司法警察員に対する供述調書のうち、(証拠略)では、避難誘導訓練について「従業員の教育、危険防止などを担当しております関係で私の方で計画し実施すべきだつたと思います」旨、(証拠略)では「私の所管する事項に保健衛生安全関係という項目がありますが」、「安全というのは交通の安全もありますし、水害に対するものもありますし、火災から守るという安全も含まれて」いる旨、(証拠略)では、「従業員に対する訓練や教育は、保健衛生安全関係を職務とする人事部の仕事でありますから、当然私がしなければならなかつた」旨、(証拠略)では、従業員の避難訓練については「従業員の安全を守るのが、人事部の仕事ですから、私が当然やらなければならなかつた」旨、また検察官に対する各供述調書のうち、(証拠略)では、従業員の安全を図るのは人事部の仕事ですが「安全」と言えば「防火」も含まれると思うし、従業員の教育訓練は人事部の仕事なので消防訓練は人事部にも関係すると思う旨、(証拠略)によれば「従業員の安全確保は人事部の仕事であり、また、私はデパートの幹部の一人としてお客の安全を図るべき責任がありますから私としても大洋デパートの防火体制を確保し、消火通報避難訓練等を十分しておくべきだつた」旨、(証拠略)では、従業員の安全確保は人事部の仕事ですから人事の方で消防訓練をしておけばよかつた旨供述しているのであつて、おおむね、従業員の安全、教育が人事部の職務であることを根拠とするものにすぎず、火災後における同被告人の個人的感想に近いものもある。

また、前記第七、二、1、(四)で見たように、同被告人は、被告人園田を指示して次のような防火管理に関する仕事を行わせている。すなわち、(イ)昭和四六年二月一〇日防火管理者協議会に出席させ、(ロ)同年五月一一日、秋津女子寮が竣工したが、その消火器の見積りをさせ、(ハ)同年六月八日及び九日、防火管理者資格講習会に出席させ、(ニ)昭和四七年四月一日、各階各課の火元責任者の名札を表示させ、(ホ)同年五月一九日、「消防編成」という表をコピーして各階に配付させ、(ヘ)同月二三日、前記秋津女子寮の避難器具の見積りを取らせ、(ト)昭和四八年一月二五日、防火管理者協議会の結果報告をさせ、(チ)同年二月二四日、春の火災予防週間のポスターを企画課に渡させるなどしているが、しかし(証拠略)によれば、秋津女子寮は人事課の所管であることが認められ、同寮に関する右(ロ)、(ホ)のような消火器や避難器具の見積りは人事部の所管事項として行つたものというべきであり、また、被告人園田は前記のように古閑から営繕に関する事務の引継ぎを受けたが、防火に関する引継ぎを受けておらず、大洋デパートには昭和四五年八月から防火管理者がいなかつたので、(証拠略)から明らかなように、防火管理者協議会の葉書を受けた被告人園田から相談されたために、被告人山内藤吉が一応出席するよう言つたもので、(イ)の防火管理者協議会に出席させたことは、本来その会議に出席すべき担当者を欠く場合の代理者の人選という意味で人事の問題と解することができ、(ハ)の防火管理者資格講習会に出席させたのも、同人を含め四名の者を出席させており、右同様適任者の人選という意味で人事の問題であり、(証拠略)によれば、(ニ)の火元責任者の名札の表示は従前あつたものが人事移動や汚損のため取り替える必要を生じたので新しく作り直させたのであり、(ホ)の編成表も人事移動の結果に合わせる趣旨から作り直させたにすぎないもので、いずれも人事案件の処理の枠内であり、(ト)については報告ではあるが、前記のように消防法令が改正されて防火管理者の資格が厳しくなり、地位権限のある者でなければならない旨聞かされた被告人園田から、自分には出来ない旨を申し出られたもので、やはり、人事に関する問題ということができる。最後に(チ)については、(証拠略)から明らかなように、ポスターを従業員食堂や休憩所に貼る場合は、人事課の許可が必要であるが、店内に貼る場合は企画宣伝部の担当であるのに、被告人園田がそのことを知らずに人事部に問合せて来たので右の事情を教えたにすぎないもので、これらはいずれも若干防火との関係が考えられるとしても、これらの行為から被告人山内藤吉が防火管理業務に従事していたとするには足りない。

4  以上のとおり、被告人山内藤吉は、管理権原を有する者ではなく、管理権原者からその権原を委任されたこともなく、また、実質的に防火管理業務に従事していたものとも認めることはできないであつて、同被告人には検察官主張のような注意義務は、法令、契約その他いずれの観点から検討しても、これを肯定すべき証拠はないから、同被告人に対する本件公訴事実については結局犯罪の証明を欠くことに帰する。

第八結論

よつて、刑事訴訟法三三六条により、被告人三名に対し、本件各公訴事実について、いずれも無罪を言い渡すこととする。

(裁判官 川崎貞夫 酒匂武久 松下潔)

別表 第一ないし第五 略

図 第一、第二―一、ないし第二―五 略

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